世も閉塞感が漂い始めると、宗教が盛んになるようで。
この世のどうしようない苦悩・不安を消し去るにはどうすればよいか・・・
このようにさまよう人心をホイホイ捕まえるのが宗教ビジネスなのでしょう。
・・・穿った見方ですか?^^;)
さて、最近は仏教の本、とりわけブッダの言葉を扱った本がよく売れてるそうです。
・・・っつうか、私買ってるし(笑)。
今まで仏教なんてお葬式の時ぐらいにしか接する機会がなく、人の死=仏教という単純な思い込みがありました。
これは日本古来からの”宗教ビジネス”の結果、人心に刷り込まれた認識でしかないんですよね〜。本来宗教とは死んだ人を弔う手段ではなく、生きている人がよりよく生きるための指針とならねばならないんですが、日本ではどうもそうなってない。
世界を見渡せば、キリスト教圏は毎週教会に行ってお祈りをする、イスラム圏では毎日何回もお祈りする、仏教圏でもタイでは生活に深く仏教の教えが入り込んでますね。
・・・かといって、日本は無宗教ではありません。
生まれて間もないころは、宮参り。ちょっと育てば、七五三。
その後も、初詣、受験祈願、就職祈願、恋愛成就祈願・・・と神社参りが当たり前に生活習慣の一部になっております。一昔前までは神社で結婚は当たり前でしたし、仏式もありました。最近では、キリスト教式が増えてますね。ちなみ私はキリスト教式でした(笑)。・・・で、死ぬ時(葬式)・死んだ後(法事、お盆)はほとんどの場合仏式です。
このように、日本には生活の節目節目に神教、仏教、キリスト教が深く関わってます。
一見無節操に思えますが、結婚式以外は各宗教の役割はほぼ決まっていて、日本も意識してはないですが立派な宗教国家になってるわけです。
これほど多数の宗教が存在するのに、混乱や紛争が起きないのは、海外の雑多な宗教・文化を自然に吸収・昇華してきた日本特有の歴史的背景があるからに他なりません。
たまたま死ぬ時・死んだ後の政を担ってきたのが仏教だっただけ。
ま〜これが仏教に対する大きな誤解を生んでいる背景になってるわけですが・・・。
随分前置きが長くなりましたが、日本の仏教といえば”般若心経”。
宗派によって、唱えない派もありますが、否定する派はないようです。
これこそ、お葬式や法事の時しか目にする機会はなかったのですが、実は、生きている人へ向けた”悟りへのお導き”であります。決して死んでしまった人への弔いの言ではありません。唱える人本人に向けた呪文なのですね。
般若波羅密多心経の一番最初の一説・・・照見五蘊皆空 度一切苦厄
五蘊(色・受・想・行・識のことで物質・肉体や感受作用・想念・意思・認識)は皆空であると悟れば、一切の苦厄から救われると照見した。
”私”の体や意識は全て実体はなく空、したがって実体のない”私”が感じるもの思うもの認識するもの全てが空、よって今感じている一切の苦も実は実体のない空である・・・。
つまり実体のない”私”の体や感覚や意識に執着したその囚われを超越した”空”を説いております。
・・・わかりますか?
はっきり言って私はわかってないです(笑)。
ま〜大事なことはわかる(悟る)ことではなく、わかろうと努力する姿勢(修業、瞑想、精進・・・)なんでしょうね〜。
とにかく般若心経の呪文では”空”がキーワードです。
ブッタの言葉・・・はまってしまいますね〜(笑)

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