現在、学年のまとめてとして、クラスで文集を作り始めました
時間があまりない中(17日朝の時点で残り5日=21時間!おまけに使えるのはそのうち5時間あるかないか・・・)ではありますが、子どもたち一人一人にそれぞれの思い出を書くことにしました。
題名は主に3パターンあって、
・一年間で楽しかったこと (一つの行事など限定・・・作文が苦手な子向け)
・3年○組の思い出 (複数並列表記)
・自分にとって3年○組とは (作文が得意な子向け)
というようにしてみました。子どもたちはそれぞれテーマを決めて、下書きの前に製作する「作文メモ」(これがあることで、作文が苦手な子でも段落構成など事前に構築しやすい)に、自分が書きたいことを大雑把にまとめてから作文に取り掛かりました
ほとんどの子(在籍27名中23名)がスムーズに書き出すのですが、様々な子がいて、メモ作りが苦手な子は、直接作文用紙に書き込んだりもしています。ただ、各琴を苦手としている子の支援がこれまた大変。
一人一人にそれぞれ何を書きたいかから訊ねるのですが、返ってくる答えが「何もない〜」・・・の繰り返し。
深呼吸して自分をリラックスさせてから再び3人の子どもたちを巡回していました。
その間にも、メモを完成させた子達が「見てください」と来るので、アドバイスをしつつ確認を行っていました。
そのうち、作文用紙に書き始めた子達がいつの間にか、作文を仕上げて来るので、そちらもチェックし、一部に赤を入れると言うことも同時進行で行っていました。
最近は、私に見せに来るまでに友達同士で確かめて、直せる漢字は直し、足らない言葉は付け加えということを行っているので、手直しは最小限にとどまるのですが、こうなってくると、メモ作りに苦戦している子たちの指導が薄くなる(子どもにとっては色々突っ込まれなくて楽らしく、のんびり落書きをしている

)
そこで、あまりプレッシャーをかけないように声をかけるも、一人はヤル気が急速に低下
こうなったら、かわいそうだけど放課後に個別指導するしかないかな〜と思っていました。
すると、作文の下書きを完成させて、友だちの作文の確かめを率先して行ってくれていた女子が数名

その子や苦戦している子に対して「アドバイスをしていいか」と聞いてきました。
これは子ども同士で学びあうチャンスとばかりに、頼み、自分は作文を仕上げ始めた他の子の添削や指導に戻りました。
すると、さっきまで書くことを嫌がっていた2名も女の子にやさしく声をかけられ、てれつつもちょっと嬉しそうに

、メモ作りを始め出しました。
自分の指導技術がまだ未熟であることを痛感するとともに、彼らの豹変振りにはちょっとツッコミを入れたくもなりました
ただ、このようなことは子ども同士の学び合いを計画的に取り入れることを以前から考えていながら、現段階では厳しいかなと、保留していました。
ところが今回、こちらが指導をする前に、子どもたち自らがこのような学び方に気付き、作文などが得意な子が主体的に苦手な子に対してアドバイスし、互いに学び合うことができ、私の考え以上に子どもたちが育ってきたことを強く感じることができました。
一応、保留しながらも、その芽が出るように仕掛けてきたことが、ここへ来て一気に芽吹いたような感覚は、何ともいえないものでした。
改めて、子どもというのは教師の予想以上に大きく成長していくものなのだと感動しました。

0