農機具の修理は唯一の従業員・音やん。彼は音吉という名にも関わらず耳が不自由だった。幼き僕のことを孫のごとく可愛がってくれた一生忘れることのできない人だ。1963〜65年頃。
場の科学_02
前回の「場の科学_01」は歴史や民族的なスケールでのお話、しかしここからが僕の本題。冒頭に書いた無くなった僕の生家と同じく、人はそれぞれに個々の生活のなかで住まいや店舗などの「場」の選択決断に立つことが人生の重大行事だ。よく考えそれが成されたケースもあればそうじゃないケースもあろう。これは前回引用の「場をわきまえた、たたずまい」であるか非か、ということでもある。今日は前にもここで何度か書いたが店舗の「場」について考えてみましょう。ここ数年伊勢の町の変化や新店舗への関わり、そして「あるく!マップ伊勢」の編集などでもよく考えさせられる問題でもあるからです。
僕がNYから伊勢に戻った20年前はまだ駅前やサクラ通りの繁華街にも店舗は多くそこそこ賑わっていた、その後郊外に出店する洋食屋さんなどが増えた、公道も整備され車依存型生活が栄え住居兼店舗の形態が繁殖した。そして郊外型大型複合店(明和J)が出来て町中にあった映画館がそれに飲み込まれ無くなったのも印象深い。飲酒運転の取り締まり強化や長引く不況もあり、郊外型も駅前や繁華街店両方に衰退のかげりが見え始めたのが10年前くらい。日本自体が高齢化のスピードを上げ、地方都市は都会に較べその衰退が明らかになった。都会に出て行くものはいても帰ってくるもの無しな構図。その後5年くらい前から不況による鬱な気分からの神頼りかの参拝者増加、パワースポットや遷宮近しのブームなどもありおはらい町は栄え続け、外宮の参道もこのところ出店ラッシュで現在に至る。
参道ビジネス万歳の様相で駅前も賑やかさを取り戻しつつある。観光客の往来も多く参拝者も増加、伊勢に人が集まるのは嬉しいことだ。参道というのはそもそもお祭り通りみたいなものだから、そこへの出店ラッシュも自然な流れ、経営者ならば未来のある方に引きつけられるのは生存本能そのものだとも思う。しかしこの出店ラッシュ大丈夫かなんて思う。ほんの数十年前のことがアタマをよぎる、駅前の百貨店あれは産業遺産、何遺産か。負の遺産なら巨大な墓石のごとくモニュメントみたくして朽ちゆく建造物を見守り続けることもまた伊勢市民のセラピーにすらなるんじゃないかとも思える。しかしここはデリケートだな、河崎や下町に取り組む僕の参道に対する嫉妬からの遠吠えになると人間として小さいし、いや事実小さいか(笑)駄目だ、そうならないように書かないと。
「場の科学」と題して書きたいこと、それは店舗だって前回に書いた何故に神宮がこの地に選ばれて鎮座・建造されたかということ。「場をわきまえた、たたずまい」であるか非か。これ店舗に限らず全てに当て嵌まって来ることで、お店や住居やビジネスも人間も、その精神も心も。かなり深いですから上手に書くの大変、しかし失敗を恐れず書きます。
神宮はここにある、自分の店はどのような店でどこにあるのが適切か。神宮があるから近くにあればというだけでなくて、参道に必要でその場に収まってる店舗なのか、店舗の種類やスタイルによっては参道よりも別の場所にあった方が収まる店(ある種の飲食、洋服、雑貨屋さんなど)なら何処が適切なのか、サウンドやサブカルのニューウエィヴならそれらしく裏通りにちょっと不良っぽく営業してるとか。ここで欧米持ち出しても何だが、遊んでても楽しくおもしろい町というのはそのエリアごとの個性で出来上がってて、僕のかつていたNYのイーストビレッジとかパリのマレー地区(今はどうなんだ?)住宅事情の異なる日本じゃ較べようにも無理があるが、強いて言えば下北沢や中野ブロードウェーに秋葉原とかなのかな……お店やる人は自分の店の商いだけに眼を点じず、そのあたりも意識して伊勢の町のパーツとなれるように商いの内容や立地を決めていくことが、例えば映画館の孤立を食い止めたり、個々バラバラじゃなく連携して作り上げていくエリアの個性作りに繋がっていくんじゃないかと僕は思うんです。
「あるく!マップ伊勢」の製作は天空から図面になった町を眺めてるようなものです。そんな画面の中にピンポイントで店の点在が明らになって来ると当然導線なども連想します。そんな作業から見えてくるものがあって、この店はここじゃなくここにあると、他のこのお店などとも連動した流れで小さな楽しい集落になるななんて想像しちゃう。だから参道目がけての出店ラッシュは駄目とは言わないまでも、好ましいとは思えない部分もあると言うのが僕の私見なんです。簡単に操作し変えられないのも承知しています。厚生小学校出身なので駅前や参道はつぶさに見ながら育ち大人になった分、少しだけ見えない部分だって見えて辛い時があります。自分の店のマネーや成功や名誉ばかりじゃ正しく素敵な未来にならないです。そのもっと向うにあるものにアプローチしないとと思うんです。みんな稼がなければ生きて行けません、僕たち皆そういうゲームの中に生きてて大変です。しかし反省は生かし賢明に考え挑戦して神宮と共存していかないとと考えます。
マイカーでもって各人がバラバラに自分の行きたい店に行って得たいものを得る。個人の自由でいいけれどそういう消費にしたってみんなで共有したり、属性のはっきりしてるところで飲食や時間を過ごす楽しさと豊かな時間。そしてそれらが今までの反省も含めた素敵で正しい未来に繋がる経済活動なら、上手く市民に換金され素晴らしいとも思うんです。店舗作りに町の形成、何もむずかしいことをしたいわけじゃないんだけれども、僕なんかの考えは既存の出店プロセスじゃいかない場面もあり、そのための文法作りをやってるような感覚すらあります。その店だけじゃない町の成り立ちも考えながらの作業になると様々な物事がからみ、ひとつひとつそれらをクリアして行くことにはそれなりの骨が折れ、相手も絡み複雑です。僕のやってることなんて小さい規模でしかありませんが、組織でもなく行政とも関係なく財力も最小規模での挑戦だったりなので格闘みたいなものです。
お店の出店を考える本人の意志は「早く商品を作りお客さんに対峙して楽しい商いにしたい」というのが純粋な本音だと思う。資金繰りその他開店準備で自分の店とそれを取り巻く最小限の物事で手一杯でしょう、解ります。未知への挑戦の始まりなんだから、不安や悩みの淵にある時でしょう。そんな時には僕なら絵を描きたくなるものです。ただ描くことに逃げることだけでは、困ったことに逃げることが快楽になってしまったりする。
僕たちのライフはいいこととそうでないことの繰り返しで出来てるな、なんて最近特に感じます。年齢による経験でそんな波が読めるようになってきたのかもしれないな。良くない時こそが正念場です、それが行き過ぎるのを待ってるだけじゃなくて次にやることのための知恵を絞り、やれることはコツコツと実行したいものです。これって伊勢の町やお店だけのことじゃないですよね、東日本を中心に今まさに日本が正念場そのものなんだ、そしてこれ書いてる自分自身だって。
何だか深くなって来ました。今回はここまで、次回に続けたいと思います。
Have a lovely weekend, everyone.

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