NIPPON Subtle Beauty
ニッポン その風変わりな美学
三年ほど前から日本的なる題材を水墨や水彩というメディア以外で取り扱えないものかと挑んでるのが Neo Watercolores 新水彩主義という表現形態。まだまだ習作の域でもある作品数点なんだけれどご覧ください。
各画像に添えたコメントは今読んでる白州正子さんの「かくれ里」からの引用もあります、それにボクの考えもミックスして絵画との橋渡しとさせてもらいました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
伎楽面・力士
Mask of Gigaku / Wrestler
mixed media and Acrylic 2018
533x304mm © Takeshi Nakatani
伎楽、今のツルピカの仮面やキンピカの衣装はどうも好きになれない。そしてあのケバさは日本のオリジナルじゃない思う。
伎楽はおそらくギリシャから西域を経て、中国朝鮮経由で七世紀ごろ日本に入って、それが神道の儀式として根付いた芸能だろう。これは正倉院所有する当時のオリジナルを赤と青で彩色して描いた。実物はこんな色じゃありませんから
外国では滅びてしまったこういうものが日本で生き延びてるっていう不思議。日本は外国から far east 極東と言われ行き止まりな文化圏。言わば、隠れ里。
隠れ里、最高じゃんとボクは思う。積極的に隠遁しようよ。もちろん外からは学ばなきゃならんが、真似の仕方が大事で中国的な荒いレベルじゃなく、日本独自の真似をしてそれをそこで終わらさずにもう一歩踏み込んで昇華さす。
日本の芸術の歴史はこれで、外国から習い、習ってる間に独自の形を作り上げて来た。この世界の片隅の極東の島国が、そうあるがゆえに異常な好奇心と探究心でもって外来文化を吸収した結果がニッポンの文化だったりする。
家屋じゃないが、何事も風通しがいいことは善きことだ。感性におけるモノゴトにしても風通しが大事だ。風のように止まらず色んな角度で隈なく自身や自国を観察すること。自分が自分をどう思ってるか?が大事で、人にどう思われようなんて尺度は作り手を狂わせることあれ、育むことはない。自分自身を疑うことと認めることを上手にやれてこそ進んでいけるのだ。
もとい、外来文化を吸収した結果がニッポンの文化。
ここにこうして連ねたイメージ、仏像にしても狛犬にしてもまあそんな感じ。百恵さんに関しては、ボクたち日本人のほとんどは彼女がシンガーだったことブラウン管を賑わせたことを知ってるけど、今海外から日本を訪れる外国人にコレを見せたらなんと思うか?日本の過去の風俗、一過性文化の上澄み・・・としてここにスパイス的に加えてみた。ロラン・バルト「表象の帝国」的切り口でもあるけれど
ここに生じてる日本にしかないテイスト、これをボクは NIPPON Subtle Beauty と題しまとめた。これらを実際に我々提供の宿泊施設・たらちねに設え、海外からのゲストにぶつけてみる実験でもある。
空也上人立像
Kuya-shonin standing statue
acrylic and mixed media on canvas board 2017
409 x 318mm © Takeshi Nakatani
獅子
Buddhist Guardian Lion
mixed media and Acrylic 2018
533x304mm © Takeshi Nakatani
十一面観音像
Eleven-headed kannon bosatsu
acrylic and mixed media on canvas board 2017
409 x 318mm © Takeshi Nakatani
Momoe Yamaguchi
山口百恵
singer 1973-80 retired
mixed media and Acrylic 2018
533x304mm © Takeshi Nakatani
たらちねの入口のギャラリースペースの設え

3