「Neo Umeda から Paraiso Umeda _02」
ネオ・ウメダ
02
前回のネオウメダは、土地&家屋入手に安普請改修で経済が限界だったため、資産としてマネーを産み落とす運営(2015-17の2年は賃貸したものの)が出来ずだった。資産運営、正直そこまでアタマが廻らなかったし、冬寒く台風時の雨漏りなどの弱点があり換金能力にも難があった。
その反省を踏まえ、今回改修費を出来る限り(最低限ギリギリだが)準備して挑んだパライソウメダ。その用途運営は2年前から稼働してるたらちね(二階建て古民家短期1楝貸し)のシステムに習うこととした。
しかし賃貸物件で大家のいるたらちねとパライソの違いは後者の大家はボク自身であること。なので大家に気兼ねなくやりたい放題の改修プランに突き進めるから、この機会に他所じゃ出来ないことに挑戦出来る大きな楽しみがあった。でかい空間&建築構造物って作品のようなものだ。
自身で改修のための経済的リスクをしっかり背負った上でのことだし、本気の勝負ね。建築物として、ボクの手に負えない構造や機能については専門家米田くんにヘルプしてもらった。そしてこの酔狂な建築物に関わってくれた個性的な大工さんや作庭その他で参加してくれたヨモヤ夫婦にも大いに助けてもらってる。
さてここからはコレがただの建造物で施設とは違うところ、そうだなコンセプチュアル・アーキテクチャとでも唱うかな・・・
パライソ・ウメダ そのVision
起きるを「生」帰るを「死」と唱ったのは弘法大師だったかな?ボクたちは病や老いを忌む、出来れば健康で過ごしたいのは当然だけれど。しかし同時に「今こうして生きていることの不思議」を想うことこそ大事に思う。万人に平等に与えられた命の終了である死も身近において憶うべき大事なこと。穏やかにそれに行着き、自身の時を全う出来ればとも思う。
そういう憶いを馳せることの出来る様な空間装置を創造出来ないものかと思ったのが、このパライソ・ウメダ創造の動機。質素でも何かあたたかな天国への入り口のような空間装置とその提供・・・
東北地方の生活習慣に湯治がある。絶滅寸前の日本固有の文化、常々それに興味を抱いて東北のそういう施設を巡ることで考えた。お湯や水に浸るという行為は、赤子として生まれ来る以前の体内に結ばれたような?そしてそれが、永遠の眠りである極楽に通じてるような?年老いた人達に絶大な人気を誇った湯治文化、それはストレートに「あの世」に通じていて、そこに辿る練習をこのお年寄り達はここで湯に浸かることで行ってるんだなあ・・・なんて思うことしばしば
生と死のやりとり、というか通信が行える場所のようなパライソ・ウメダが出来ないものかと・・・
to be continued

お隣と筒抜けだった葡萄棚に今回は目隠しを。右は以前からあった防火用の水槽、昔はここで金魚が変われ今は蟹の巣になってる。

水槽からココに水が落ちる、10年前に増設した。季節には睡蓮が咲く。

そして今回そこからまた水を逃がす。半野外、プラの波板を打つ雨のサウンドそしてしたたる雨もココに落ちる。ああこの画像まだ施行中、最終的に砂利が敷かれます。三途の川とネイミング・・・

ヨモヤくんに配石も任せたが、美しき出来上がり、アリガト。ボクはこの日アトリエにて右上の柵に設置の祠とその中に祀る「迦陵頻伽・かりょうびんが」を彫ってました。これはアタマは女、身体は鳥。天竺の極楽の園に生息する幻獣で、その囀りは美しく人を魅了し天に誘う。

完成したボク版の迦陵頻伽。手のひらサイズで可愛いでしょ、顔が青年になっちゃったが(笑)

こんな風に鳥籠を模した祠に納める、祠内部はまだ制作進行中。

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