宗教において主体は「人」であると思います。逆に主体が、その信仰対象だったり、組織であったりするのは変ですよね。
何より人にとって大切なのは、「魂の自由」だと思います。考える事や信じる事の自由は大切で、例え誓約・制約が加えられるとしても、それは自由を前提とした場合だと思います。
人が何故、生命を与えられ、生かされているのかを本当に知っているのは「神」かも知れませんが、その「神」は有意でもなく、無意でもなく、有窮でもなく、無窮でもなく、有智でもなく、無智でもなく、さがしても見つからず、探さなくてもどこにでもあり、言外、存外、智外のものであると思います。
故に人は、個において自由な心で、人を愛する他無く、信ずる他無く、苦を担う他無く、求め続ける他無くあるのだと思います。
スピリチュアルな世界とその存在たちは、宗教とは人が作ったルールブックみたいなもののように捉えています。
無意味なルールブックは無視していますし、従ったほうが行動・言動がしやすければ順じています。
「お不動さん」という存在は夢枕獏さんのように言うなら「不動」という「呪(しゅ)」をかけられているスピリチュアル精神体なのかな?固有の波動は持っておられるけれど普遍的存在だから、どこにでもおられるし、どこにも決まった形でおられるわけではない。ただ、私とは波動があうからお互いのメールアドレスはわかっているみたいな感じです。でもメールと同じですぐ返事がくるわけではないし、わかりやすい言葉で返ってくるわけではありません。(続く)

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