何年か前の私の誕生日はとんでもない日になりました。前にも書いたことがあるかもしれません。
父が雪道で転んで大腿部を骨折して緊急手術、そして待合室で待っているとスクールの卒業生の私の同年の男性の弟さんから電話が来て、彼が急死したとの連絡があり、散々な誕生日になりました。
スクールの卒業生の彼は輪島市で楽圧の施療を始めていて、順調に経過していたのに、肝臓をとても悪くしているのに仲間たちとお酒を(禁止されているのに)飲んでしまい、喀血して亡くなったのです。
今も、彼の話を書いていると後ろにやってきて覗き込んでいます。彼はとてもひょうきんな人で、まだ私のところで勉強をしたかったようで、亡くなってからも時々スクールで授業をしていると見に来ます。明るい性格の彼のことなので、やってきても私は「よぉ、いらっしゃい。」という感じで迎えています。
一応亡くなられてから、その時いっしょに学んでいたスクール生達と彼の実家へはお線香を上げに行ってきました。年老いたお母さんが一人で彼の位牌を守っていられました。
私の誕生日は彼の命日でもあります。とても深い因縁を感じます。彼は能登の名物「御陣乗太鼓」の名打ち手でもありました。彼の太鼓を聞いて見てみたかったです。

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