私の幼少期の覚えている景色というのは我が家の前の坂道の風景です。
家の前は坂道で大きな通りを挟んで二百メートルほども東へ続いていました。中学校が家から歩いて三十分ほどの距離だったので帰りにはその坂道をゆっくりと下って我が家へ帰ることになります。ずっと先から我が家が見えている、そういう景色が頭の中に焼き付いているようです。
人にとって幼少期の決まった景色というのは心を形成する一部になるような気がします。海沿いや川沿いで育つ方もいれば、田んぼの真ん中で育つ方もおられるでしょうし、町中の沢山の家の中で育つ方もおられるでしょう。そういう育った環境というものが人の人格形成の一部になることは間違いないと思います。
金沢は田舎で都会としても中途半端で田舎としても中途半端で、それなのに北陸人としては見栄っ張りな気性の人たちが多いので、形を気にする町並みで小奇麗な街を造ろうとしていたようなところがあります。箱もの行政の典型と言ったところかもしれません。建物というハードは沢山作るのですが、その運営や利用方法は杜撰というソフト造りが下手な県民性があります。
城下町の古い町並みをうまく生かせればよかったのですが、行政は失敗ばかりしてきたような気がします。我が家の周辺も変に都会っぽさを出そうとしている田舎町という風情があったような気がします。本物を大事にする町だったら良かったのにと何となく思います。
私の幼少期の心象風景はそんなちょっぴり残念な街の風景の中にあったような気がします。

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