尾籠な話で申し訳ないのですが、子供の頃の我が家のトイレは汲み取り式でした。以前にも書いたことがあるかもしれませんが、子供と言うのはこういう尾籠なものが大好きで私にとってもトイレは大変な興味の集中する場所でした。
世間ではもう当然その当時水洗トイレというのは普及しつつありましたが、地方都市の一部にはいまだにバキュウム車がいつでも走り回っていたわけです。おトイレで下を見れば自分たちが排出したものが常に見えるわけで、これは相当強烈な人格形成への影響力を持つ事項でした。
臭い、とか汚いということが今の時代ほど嫌われておらず、そういうことを社会全体が大きく容認していた時代でした。そこには人の本質というものを正直に真正面から見つめて生きている人の生活があったように思います。
お乞食さんなどというものも道端では見かけましたし、差別されている部落民のような方達も大八車を引っ張って時々は街中に出歩いていました。子供の目にはそういうものは「人の生き様の多様性」としてはっきりと映っていて、それはまさにトイレで下を見ることに近い感じがしたものです。
町のあちこちを流れていた小さな川や用水が暗渠の下に隠されてしまって、綺麗な舗装された道がどこでもあるような時代と都市社会になって行きましたが、そこに人の生き様の多様性を学ぶ機会はほとんどなくなったような気がしています。

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