今、話題の九世紀後半のひらがなの記事を見てフト思ったことです。
以前から「鬼力」と「観音力」という相反する霊力について書いてきたのですが、漢字が帯びている「呪」の力を「鬼力」とするなら、ひらがなが纏っている「解」の力はまさしく「観音力」なのではないかと・・・。
どちらも善悪の範疇からは遠く解き放たれている力なのですから、漢字とひらがなという日本文化を根底から支えるものにも宿っているのだろうと考えます。
漢字と平仮名で成り立っている日本の文章は霊的にも見事に調和が取れているものなのですが、それが人に自然と「力の配分」というものを教えているものであったとしたら素晴らしいことなのかもしれません。

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