最近の神社には、神様の雰囲気が感じられないところが多いように思います。もちろん、私の妄想力の感知している部分なので、本気にとられても困るのですが。
先日も私のスクールの卒業生で霊感のある女性と話していて、「初詣の神社の上空に黒い雲が渦巻くみたいに、吸い込んでいる空間があるよね。」「そうそう、ありますよね〜。」という会話をしていました。同じものを感じていて、少しほっとしたのですが、心の中での二人の会話は「あれって、人の祈りや願いを吸い上げて神社自体は清浄なものにしておくためのブラックホールみたいなものだよね。」「そうですよね〜、ちょっと不気味ですよね。」というものが交わされていました。
有名な神社には、間違いなく「神の存在する感覚」というのが薄れてきているように思います。あくまで、私個人の感覚なので本気には捉えないでほしいのですが、小さな、人に忘れ去られたような神社の片隅に「おぉ〜こんな所にこんな高位の神様が〜!」というような感応をすることのほうが多いように思います。避難して、休息されているような、硬直して冬眠していられるような神様たちの様子を見受けるのですが、もちろん全て私の妄想力の賜物です。
難しいことを言いますが、人は物質文明に包容されて、行き着くところ魂を裸で放出するような無防備で露骨な精神構造を持つようになったように思います。人や神の心を簡単に鋭く傷つけて、自分自身も傷つくのだけれど自分の魂の出血にはとことん無感覚でいられるようになってしまったように思えます。
心や魂を見えない衣服で包むことを忘れてしまっているように思います。「見えない衣服」というのは「神への畏敬の念」であり「人への見えない心づかい」だったりです。江原さんや美輪さんが「共感力」「想像力」と言っておられるものです。
むき出しの魂や心が放つ「祈り」「願い」は強すぎるが故に「穢れ」となって神社の聖域を侵食します。神様が上空に霊的ブラックホールを設置したとしても無理からぬように思います。
見えるものより、見えないものの方がはるかに大切で価値があることに皆で気づいていけたら・・神社に神様たちも戻ってこられるかもしれません。
大変傲慢な文章を綴ってしまいました。申し訳ありません。

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