すきなひと、けっこんするようなひとには全部を話したいよ。だって、そのほうがもっと好きになってもらえると思う。嫌いにもなるだろうけど。生きてきた23年間の全部を話そうと思ったら23年かかるんだよ。それでも全部わかってほしいから、全部を叩きつけてやりたいよ。そしたら、そのひと結婚なんてしてくれないと思うよ。やだー。
たいへんだったけど、苦労じゃないし、いい話とかじゃないんです。不幸自慢じゃないんです。ぜんぜん大丈夫だし、かっこつけて、いい風に言いたくない。パスタおもしろいじゃないですか。わたし、わざと生の肉とかって言ったり、あたまおかしくなりたくって、でも狂いきれなくって、中途半端でくやしい。やだ、むかつく。もっとすごいねとか、がんばってるねってほめてもらいたい。うー、気持ちわるいよー。好きな文字は愛です、とか、はずかしい。わたし、やさしくないですよ。ずるいし、でもちょっと、いいなって思う。かわいい、とか、すき。気持ちわるいー。
今だって自分に話してるだけなんです。ツイッターも。ひとの目を見て話すのも、すごいやだし、だから今もこうやって後ろ向いて喋っていて、でもちょっと、かっこいいかなって思ってる。そういう自分が大嫌いなんです。だいすきなんです。
自分の言葉で話す
というのがパープルームのルールなんだって
たんぱく質ちゃんは、自分の言葉で話しているし、とも9とか、イシダユーリとか、詩人はだいたいそういう感じだ。でんぱだと彩音さんが、そうだ。男の子だと瀬戸口くんとか松田健くんも。
ねむきゅんは「みんなの言葉」で話すひとで、僕も自分では「みんなの言葉」で話してるつもりだけど、文体に特徴があると言われることもあり、自分の言葉で話せていたらいいなあって想う。
わざと変な言い方するのとは違うよ。
不自然な避け方するんじゃなくて、普通にしようとしても、どうしても滲みでちゃうやつね。
自分の言葉で話したら、自分以外のひとに伝わらないはずなの。伝わるわけないのに、なんだか分かっちゃうような気持ちにさせるのが「詩の力」なんだよね。
23年分の話を聞くことはできないけれど
せめて、あの檸檬の花とおんなのこの絵の話
24時間かけて聞きたい。
クリエイトするってことはエディットすること
なのかなって思った。映画は、そうだし、写真も絵も詩も、音楽だってそうだろう。
なにかを切り取って、すなわち大部分を捨てちゃって、濃縮とも言えるかもけど
作品にするってことは不誠実だから、せめて誠実なふりを精一杯するべきなのかな。
かっこつけない、いい風に言わない、って大事なルールに感じる。
西島さんが「絵幻想解体」をずっとやって、30年くらいかけて、解体できなかった
という話も、したいな。30年かけれないものの。
24時間って永遠なのかな。
どういう長さなんだろう。なにを大切に想うのかな。

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