2/16(快晴)は久しぶりに時間が空いた、まあ誰でも同じだとは思うが、何も予定の入っていない日というのはけっこう稀。
私の場合も、特に伊豆に帰ってギター教室を始めてからは、どうしても毎日何かしらの予定があるのが当たり前。
伊豆は思っているより晴天の日が少ない。まあそれまでに30年ほど住んだ岡山が「晴れの国」というぐらい年間降水量の少なさで国内2番目の地なのだから、当たり前なのかもしれないが・・・。
天気が良ければ先ず撮影、近くなら何時でも撮影に行けると思うのは間違いで、他の予定が入っている時に天気が良いとなると・・・ん〜んと歯ぎしりとなってしまう。
初めての試み「みなみの桜と菜の花祭り・ギャラリーみいづ・温室LIVE」の初回、2/14バレンタインスペシャルも
「春の嵐」の中みいづ関係者に支えられて無事終了。利権と特定階層の利潤をバックボーンとした公共事業のからんだ地方行政や(狭い意味での)コモンセンスに関わらない「面白い事、気持ちの良い事に貪欲」な意識が温室いっぱいに感じれた事は予想以上の収穫でした。
2月は伊豆の海岸の撮影に絶好の時期しかも快晴、でも今日しかない!と思い毎年恒例、河津桜で渋滞の伊豆東海岸から湘南のメインストリートを通って横須賀まで、途中稲取で念願?のウルトラ生ジュース(意外に甘かった、甘みでターゲットの年代層が明確化)。4時間半で
カスヤの森現代美術館へ。このルートは天気が良いと海の奇麗さとサーファーの数が反比例しているのが良く判る、勿論それは首都圏への距離という事だが。
故
松澤宥、紙と文字と朗読のパフォーマンスという最小限のオブジェしか用いないコンセプチュアル・アート。
1950年代彼が20代の時の研究テーマが「美の客観的科学的測定法について」。1995年の個展のテーマが「量子芸術宣言」、2004広島市現代美術館では
「松澤宥と九つの柱 九相の未来−パーリー・ニルヴァーナに向かって」。河原温、高松次郎ら、とは別の意味での日本でのコンセプチャルアートの先駆者、時代ごとに量子力学、宇宙物理学の最先端の成果とアートを結ぶ概念の掲示を作品としてきている。「言明」「公案」などと題された文章には脚注、参考として頭の堅いスペシャリスト達からは揶揄されそうな科学解説著や自然科学入門書が並ぶ。曼荼羅、マトリクス(映画ではなく数学の)、
量子重力理論の一種M理論などと松澤宥自身のプライベートな身体感覚を同列で語るその切り口に、80年代にMTVとしてそのスタイルが商品化されたかつてのアメリカン・アンダーグラウンド・フィルム(ジョナス・メカス、ホイットニー兄弟、トニー・コンラッド、スタン・ブラッケージ、ジョーダン・ベルソン、ポール・シャリッツ、有名処ではケネス・アンガーなど)の手法と同じものを感じた。しかし、故松澤宥はコンセプチュアル・アートという「方法」を選んだのだと思う。定年まで地元長野の高校の数学教師を勤めたという。かれの提示した概念に類するある種の「信念」に支えられて作品を発表したのが稲垣足穂、吉田一穂、パウル・クレー、J.S.バッハ・・・だったなのではないのか?と思った。


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