今日で45才になった。
中学校でサッカーを始めたころ、45才でサッカーをしている姿なんて想像できなかった。自分で想像していたよりは老けていない気がするのは単なる錯覚だろうか?
今考えても、何でサッカーだったのだろうか?不思議だ。
高校に入って、サッカーを続けるか迷っていたとき中学校の先輩が誘ってくれた。
部員も少なく、一緒に入部した中でサッカー経験者が4人しかいなかったから比較的すぐ試合に出る事ができた。だから進んで厳しい練習もした。
高校を卒業して、社会人になって地元のクラブに入った。けど、勤めが結構日曜日の勤務のある仕事だったので1年くらいでやめた。このとき、もうプレーする事は無いだろうと思った。
25歳になったとき、そのとき勤めていた会社の社長がクラブチームの立ち上げを仕事の一環として始めてくれた。その時代に、企業が利益だけを求めるのではなく、地域に貢献する事が大切であると説いていた。今考えてもすばらしい事だ。サッカーを通じての青少年健全育成を掲げて社会人チームを立ち上げた。
山形から、指導者を目指す優秀な人材も入社した。翌年には地元から、東京から、優秀な人材が入社した。チームのほうにも地元出身の優秀な人材がたくさん集まった。
よくこれだけの人材が集まったと感心する。
一度あきらめたサッカーの世界に帰ってきた。
長男が6歳のとき腎炎になった。食事制限と共に運動の制限があった。激しい運動はしばらくの間禁止と告げられた。(1〜2年くらいだったが)
子供が運動したくても我慢しているのに親が自分だけ好きな事をしているわけにはいかない。クラブからは身を引いた。
たぶん、サッカーは今後観るだけのものだろうと思った。
長男が4年生のとき、地域でサッカークラブを始めないかと後押ししてくれる人がいた。すでに長男の腎炎も心配なくなっていた。
学校も、当時の校長先生も非常に協力してくれた。
2000年からFC.桂ヘリアンサスがスタートした。
またサッカーの世界に帰ってきた。
今年からときめきリーグも本格スタートする。
人生の節目でいろんな人との出会いがあっていまだにサッカーというすばらしいスポーツに携わっている。
選手としては、客観的に見て低いレベルにあった私がここまで続けてこれたのもすばらしい人たちとめぐり合えたから。そういった意味では本当に運がよかった。
ときめきリーグを企画するにあたってもすばらしい出会いがあった。これからもまた、すばらしい出会いが期待できる。
家族にはもちろん感謝している。
サッカーというスポーツにも、そしてサッカーを通じて知り合った仲間に改めて感謝したい。
できる事なら一生感謝し続けたい。
そんな事を考える45才の初日であった。

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