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2012/2/18

魂の気づきかな?  癒しと祈り

すごく立派な風体の方が「は?」と思うような行動をとったり、社会に出ても、いくつになっても子どものような話し方や仕草をするのって結局は魂の幼さではないかと思います。



もちろん、高齢で子どものようになっていく場合は別です。



人間関係の中で年齢は幼くても、しっかりとした考えを持ちきちんと敬語を使って話す子どもたちは、大人の影響もあるけれどやはり魂の成長が速かったり過去での経験から学びを得たのだろうことも感じられます。



30年近く前に流行った「ぶりっこ」も今じゃ死語だけど、いまだにこういう言動をわざと行う人を見ると、引きつつも「魂が幼い」と思うことにしよう!と自分に言い聞かせています。
実はかなり苦手なタイプなんでイライラしますけどね。



つい最近ですが私より一回りくらい年が上の人が、人が苦手で身内の人とは話すけど外部の人を受け入れない、実はとても繊細で純粋な人であることを知りました。


エネルギーはとても綺麗なのに傷ついていたり寂しそうであったり哀しそうであったり、でも、世間では変り者と思われたり無愛想に観られたり怖いイメージをもたれている人が、すごく繊細で純粋だったりすると年齢や男女にかかわらず私は感動するんです。



なぜそうなったかなんて興味本位で聞くことではないけれどたまたまお話をする機会があり、こちらが聞く前にいろんな話をしていただいたので、


「いろんな人にたくさん裏切られたり、傷つけられたりしたんだろうな…」

と改めて感じました。


自然のなかで囲まれて暮らしていると地方の人は素朴で純粋というイメージは無くなります。



特に山に囲まれて暮らしていると情報はテレビと新聞と噂話で現実を目のあたりにするのは身内のことのみですから、他のことには興味はありません。



つまり生きることが精一杯になるんですね。



生きることに一生懸命だから何十年も代々、棲み続けて苦労も幸せも身近に見てきた周りの人の不幸や病気や怪我に普通以上に心配するし、助けてあげる気持ちが強いのです。



そこに割り切った考え方の人が例えば親切な気持ちをもって接したとしても、気持ちのズレは生じるのが当たり前なんですね。



長野に住み初めてから気づいたのは都会の人間関係の複雑さでした。



地方は絶対的な縦社会ですから、都会より少々やっかいです。
若い頃の私なら反発しまくりです。




でも見返りは期待しない、手を貸すことは当たり前で、そう思っていれば自分もいつか助けてもらわなければならないときはやってきます。



面倒がらず、緊急でないのなら自分のことを後回しにしてでも助け合う気持ちは素朴でも純粋でもない、当たり前のことだということをようやく理解できるようになりました。



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