怒りは我慢する?
さて、前々回、怒りのストレスは他に目を向けて発散してはいけないと書きました。
怒りを我慢するからストレスを別の方法で発散する必要が出てくるのです。
・・・私が言ってるわけではないですよ、念の為(笑)。
いわゆる「ガス抜き効果」という奴ですね。
簡単な例を考えてみました。
中国では、民衆の溜まった怒りは”反日”という名目で時々爆発します。
中国の共産党独裁政治下、自由な言論は著しく取り締まられてますので、
民衆の不満は必ずどこかで何かのきっかけでデモという形で爆発します。
しかし、政府も取締りばかりでは統治できないと悟っておりますし、民衆側も当然保身を考えます。結果「怒り」の対象は双方共通の敵”日本”に向けられます。
よく考えればこれは日本にとって非常に理不尽な話ですね。
政府も国民も怒りの根本原因をみようとせず、ただ反日デモとして発散した結果、その怒りが反日に取って代わられ、デモが起こる度にその怒りが民衆に焼き付けられているのです。
どうですかね?おかげで50年前より中国の反日パワーは増してませんか?自分達でどんどん「怒り」を再生することで、それが怨念(ウパナーハ)にまで到達しているのではありませんか?。それは時期が来たら、あっという間に本来の向けられるべき中国共産党への怒りに取って代わることになるでしょう。蓄積された怒りのパワーは国を破壊してしまうことでしょう。さらにその怒りはもはやどの方向に飛んでいくかわからない・・・。いや〜隣国の我々日本人にとってエライ迷惑な話ですよね。
「自分が正しい、相手が間違っている」と思っている限り、怒りは消えるどころか「ガス抜き」するたびに「怒り」が再生され、知らず知らずのうちに怒りが怨念にまで到達してしまいます。そうなってしまっては、自分ひとりでは解決不可能になってしまいますね。
「怒りのストレスは発散してはいけない」はそのことを言っているのでしょう。
「怒り」は我慢すべきものではない。
「怒り」は人知を尽くして消すもの、そして忘れるものである。
それには「怒り」の発生システムを理解する必要がある。
・・・・・・ブッダさんはこうおっしゃられているようです。
「怒り」は自分が正しいと思っているから生まれる感情である。
しかし自分は絶えず変化している”不完全”な存在である。
そして”不完全”な自分が絶対正しいことなんて有り得ない・・・・。
・・・ここに気づくと怒り消し方に一歩近づくそうです。

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