日常怒りが湧く場面。
まず、通勤中。
バイク通勤なので緊張してる分、ちょっとしたことで怒りが現れやすい。
●他バイクに信号待ちで前に割り込まれる
●抜かれる
●前でモタモタされる
●あおられる
●せっかく抜いてきたのに赤信号で並ばれる
●信号の切り替わりで前のバイクはギリギリ通り抜け自分は間に合わない
●信号スタートでフライングする奴がいる
●信号スタートで前のバイクが出遅れる
●順々にすり抜け中、自分の前ですり抜けできなくなる
・・・・
あげたらキリがない(笑)。
こう書き連ねたらなんて私はバカなんだろうと思いますが、
人間なんてちょっとしたことで怒ってしまうんです。
怒りが湧く場面が多ければ多いほど修業になります。
最近はそう思って通勤してますね。
普段は怒っていた場面で怒らずやり過ごすとなんか嬉しい・・・。
「勝てた」と思えて気持がいいのです(笑)。
さて、上記の様にほぼ毎日パターン化された怒りについては対処しやすいですが、
日常では予期しない怒りがたくさんあります。
先日のクーラー限定2名様の件もそうですね。
昨日は某百貨店で、お中元のカタログを見せてもらおうと係員にお願いしたのですが、私が何を見たいのか直ぐに理解してもらえず瞬間的な怒りを感じました。
相手の瞬間的な「コイツ何いってんだ?」という表情を私が見逃さなかったからです。
どんだけ敏感なんだよ!って話ですね。
もちろん言い方を変えて理解してもらった後は相手も非常に丁寧な応対になりました。相手も理解できないという不安が表情に出ただけなのでしょう。
ここでも自分の「怒り」に瞬時に気づくことができたので、声を荒げることも無くにこやかに終りました。
「怒り」はいつ何時湧くかわかりません。
というか人間は常に怒る寸前で生きているのですね。
人は常に何かしらの大小さまざまな苦を代わる代わる受け続けている。
そしてその人の怒り感知器のバロメーターが一定のラインを超えた瞬間、怒りが湧き上がる。
しかし逆に考えると、人は常に苦を受け続けているのだという理解があれば、怒りへの対処はしやすくなる。
生きるとは苦であり、苦は嫌・・・だから怒る・・・。
つまり生きている限り怒りはなくならないという矛盾。
コレに気づく!
『一切皆苦』の考え方ですね。・・・仏教では真理であると言い切ってます。
これは宗教というより一つの思想・哲学と捉えたほうがよさそうですね。
『一切皆苦』についてはまたの機会に掘り下げようと思います。

0