「「京大東大」でもええじゃないか。。。いつも首都東京が1番で京都が2番」
脱東京一極集中
「京大東大」でもええじゃないか。。。いつも首都東京が1番で京都が2番
テレビに雑誌と、どの媒体をみても
大学を紹介するときは「東大京大」の順番なんですよ。
みなさんは、
なぜこんな序列があるのだろうと考えたこと、ありますか。
東大と京大は同列のはず。ですが、
いつも「東大京大」の順番で紹介されるのです。
首都東京にある大学が1番、京都は2番。
日本の場合、大学がある場所によって序列がついているのです。
そもそも、東大は日本国に優秀な官僚を育てようという目的でつくられた大学。
だから、霞ヶ関には東大卒がとても多い。文科省もそうでないでしょうか。
東大卒の文科省官僚なら母校東大と関西の京大を呼ぶとき「東大京大」と呼ぶのかもしれない。
しかし、こんな
呼び方ひとつで庶民は東大のほうが京大より上なんだと認識してしまうのです。なんで
配慮がないのだろう。
アメリカ人なら、一極集中にならないようにと、
このあたりは特に気をつかって「京大東大」と呼ぶことでしょう。
日本人は、
特に「東京人」こんな気の使い方はしない。
「首都にある大学のほうが上だ」という呼び方はおかしい。
どこで学ぼうが、
学問に上下はないはず。
東京人は外国人に対しては「おもてなし」を強調しますが、
国内では「おもてなし」の精神をもたないのですよ。
なんで
東京人は「都道府県」といった序列づくりにこだわるのだろう。
「士農工商」もそうですが、必ず2番目に低いランクがくる。
農民のほうが工業や商業人より上と。
都が1番でつぎは道民、その下が府民県民。
東京在住の人はこのことは考えようとせず、
「首都だから上なんだ」といった非論理的な説をとなえます。
なんで学問する場所で上下がつくのだろう。
「ワシントン」や「ニューヨーク」が一極集中しないようにとする、
アメリカ人のような配慮が必要だろう。
しかし、
東京人はそれを考えない。
全国配慮するよりも、こうした東京利権を守ろうとする。
アメリカ人はヨーロッパの階級主義がイヤでヨーロッパから出ていった人たち。
「何が不公平か」を常に考え、そうならないようにとする人たちなんです。日本もアメリカ人の「爪の垢」を煎じて飲めよ。
「爪の垢を煎じて飲む」とは、すぐれた人の爪の垢を薬として飲みでもして,その人にあやかるように心がける。立派な人の言行を少しでもまねるということ。

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