渋沢栄一・青天を衝けが面白くなってきました。
渋沢栄一は、ただのエリートではありません。
徳川慶喜と出会うまでは、
百姓でありながら、日本の将来を考え、横浜洋館を破壊し、外国人皆殺しを計画。
その第一歩が「高崎城乗っ取り計画」
本気だったのですよ。
が、その後、慶喜と出会い、ヨーロッパへ。
だれもが知っている渋沢栄一となっていくのです。
星野監督のような、情熱の塊なんですよ。

高崎城
高崎城乗っ取り計画
腐敗した徳川幕府の滅亡はほぼまちがいない。農民であっても一個の国民であり、日本が滅亡するのを座して見ているわけにはいかない。
攘夷を断行するには先ず軍備を整えねばならない。そのためには手近で調達するほかあるまい。白羽の矢が立ったのが血洗島ちあらいじま村からほど近い高崎城であった。
高崎城は上野国群馬郡(現・群馬県高崎市高松町) にあり高崎藩の藩庁であった。烏川に沿って築城された平城、周囲は土塁で囲まれているだけだった。
攻め落とすのはさほど難しいとも思えなかった。
乗っ取り決行の日は文久3年(1863)11月12日と決まった。その日は冬至であった。
高崎城を乗っ取り、軍備を整えたならただちに横浜へ進撃し、横浜の洋館を破壊、外人と見るや皆殺しにするという大胆な作戦である。
武器の調達は栄一の役割だった。旅商人を装った栄一は父から藍の買い入れをするという名目で受け取った三百両を懐に神田の武具屋から買い集めてきた。
本当に欲しかったのは鉄砲だが、それは幕府の嫌疑を受ける危険があるので断念、その代わりに刀や槍その他を大量に買い込んだ。
そうして冬至までまだ間がある10月半ばまでにはほぼ準備が整った。
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