「恵恵(フィーフィー) 日中の海を越えた愛」
きのう、「
NHK ニュースウォッチ9」で、
病の妻支え中国へ…愛貫いた夫婦を訪ねて と紹介されていました。
http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163900735
以下、リンク先で紹介された内容です。
北京で最初の
反日暴動が起きたのは2004年8月のことです。
その4カ月後のクリスマスに、関西学院大学のキャンパスで、
ある日本人の青年と
中国北京からの女子留学生が出会いました。
キャンパスに集う大勢の中から互いをみつけた二人は恋におちます。
恵恵が自身の乳がんに気付いたのは、2ケ月後にその
岡崎健太君との結婚を控えていた2005年のことでした。28歳の恵恵は目の前がまっくらになります。健太はこれまで一度も訪れたことのなかった北京に、たった一人で文字通り飛んできます。
恵恵は、残念ながら、2011年6月にこの世を去りました。
抗ガン剤による治療のために、
中止された結婚式は2年後の2007年9月、二人が出会った関西学院大学の「ランバス礼拝堂」で行われます。そこで恵恵さんはこのように挨拶をしたのでした。
「健太、あの日、ここでわたしに話しかけてくれて、ありがとう。
わたしと結婚する決心をしてくれて、ありがとう。
わたしの病気のことを知って、すぐに北京に飛んできて、そばにいてくれてありがとう。
手術室の外で渡した婚約指輪を握って、わたしのためにずっと祈り続けてくれて、ありがとう。
もはや倒れそうだったわたしの両親を支えてくれて、ありがとう。
痛みで眠れないでいるときに、何時間も何時間もずっとマッサージを続けてくれて、ありがとう。
化学治療で苦しんでいるわたしのそばでずっと笑っておしゃべりをしてくれて、ありがとう。
髪の毛を失ってしまったわたしのために、自分の髪を全部剃ってくれて、ありがとう」
「恵恵 日中の海を越えた愛」は、日中間がもっとも厳しかった七年間に、共に生きた二人と日中ふたつの家族の物語です。健太君、母親の付楠さん、恵恵さんの残された手記を一冊に編みました
担当編集者より
日本に留学していた恵恵さんと健太とが知り合ったのは2004年12月。それから彼女が中日友好病院でガンのために死去する2011年6月までの、
7年間の闘病の日々(一時回復)を、健太さんが手記(書下し)としてまとめたのが本書です。彼女の母(付楠さん)が中国で上梓した本の一部と恵恵さんの生前の手記も収録されています。日中間が最も厳しかった時期に、困難を乗り越え、共にピュアに生きた二人と、それを支えた日中二つの家族の真実の物語です。ぜひご一読ください。
以上。
政治体制の違いから、誤解されたまま伝わっていることがたくさんある。
人だけをみると、すばらしい人がたくさんいるのですよ。
PS 今週の美人MVPは、ミワとナオ。
特別美人賞は、青娘と足湯娘。7時のニュースで歌が巧かった。

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