「首都がかわる」ことはめったにありません。
日本では
明治時代に京都から東京へとかわりました。
首都がかわるとき、必ず武力が使われている点に注目。
話し合いで首都がかわることはないのです。
ここで、
ドイツについて。
ドイツは
ベルリンの壁が壊され、東西が統一されました。
東ドイツの首都「ベルリン」か、
西ドイツの首都「ボン」かで相当な話し合いが行なわれたようです。
結局、
「ボン」は連邦首都「ベルリン」と並んで国家の中枢機能を保持する「連邦市」であるとされたそうです。
それにより、
ボンには教育学術省、郵政省、環境省、食糧農林省、経済協力省、国防省、研究技術省、保健省、カルテル庁、保険庁、金融機関庁、保険制度監督庁、食糧森林庁、農業市場制度庁、会計検査院、中央鉄道庁などの省庁が置かれることになった。
事実上、
ボンはドイツの副都(第2首都)だということになる。
日本は、過剰東西対抗意識から、第2首都大阪への配慮を欠いていると思いますね。
以下、ウィキペディアより抜粋 ------
首都とは、一国の中心となる都市のことを指す。
ほとんどの場合にはその国の中央政府が所在し、
国家元首等の国の最高指導者が拠点とする都市のことである。
場合によっては、中央政府の所在とは別に、その国のシンボル的存在として認められている都市が首都とされることもある。首府、国都、都などとも呼ばれ、また、帝制国家や王制国家の場合は帝都、王都等の称がある。
ドイツ連邦共和国では、主要な行政府と国会はベルリンにあり、同市がドイツの首都とみなされている。ただし、最高裁判所にあたる連邦憲法裁判所(Bundesverfassungsgericht) や連邦裁判所(Bundesgerichtshof)はバーデン=ヴュルテンベルク州のカールスルーエにある。また、中央銀行であるドイツ連邦銀行はヘッセン州のフランクフルト・アム・マインに置かれている。
東西統一以前のドイツ連邦共和国(西ドイツ)は、ボンを暫定首都としていた。東西統一後の首都をボンのままとするかそれともベルリンにするかは大きな議論となったが、結局は伝統的な首都であるベルリンを再度統一ドイツの首都とすることで落ち着いた。
しかし、もとの暫定首都であったボンに対する配慮から、1994年に「ベルリン・ボン法(「ドイツ統一のための1991年6月20日の連邦議会の決議」実施に関する法律) 」が定められ、ボンは連邦首都 (Bundeshauptstadt)であるベルリンと並んで国家の中枢機能を保持する「連邦市 (Bundesstadt)」であると規定された。
それにより、ボンには教育学術省、郵政省、環境省、食糧農林省、経済協力省、国防省、研究技術省、保健省、カルテル庁、保険庁、金融機関庁、保険制度監督庁、食糧森林庁、農業市場制度庁、会計検査院、中央鉄道庁などの省庁が置かれることになった。事実上、ボンはドイツの副都(第2首都)だということになる。
スイス連邦では、行政府と国会はベルンにあり、同市がスイスの首都とみなされている。ただし、最高裁判所にあたる連邦最高裁判所はローザンヌにある。
PS 6月27日、猪瀬副知事が東電や関電など電力会社を相撲に例えていました。
東電が白鵬で、関電や中電が大関とか。これは電力業界だけの例えです。
東西に強い横綱がいるほうが、お相撲人気は高まります。
2人のリーダーでは前に進まないというなら、
江戸時代のように、政治の江戸、商売の大阪と住み分ければいい。
猪瀬氏は好きなジャーナリストですが、東京中心主義ならこの点は賛成できません。

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