先週、
「大阪コメ市場先物取引復活」のニュース。
世界初の先物取引を発明した市場だったんですが、
軍人の政府が、第二次世界大戦前に閉鎖。約70年ぶりに復活となりました。
江戸時代、名君といわれた
徳川吉宗(関西人)の米市場で悪戦苦闘する様子が「徳川吉宗」という本にありましたので、少し紹介します。
徳川吉宗は、大坂・堂島のコメ市場を公認し、先物取引も許可。
米価を安定させるため「買米令」発令、飢饉にそなえ「囲米」奨励。
「廻米制限令」そして、米価を下げないため、やむをえず貨幣流通量アップ。
といった具合に、
徳川吉宗は米価調整のため、
さまざまな処置をとり、市場介入をたびたび行いましたが、
日本全国の米が集まる
大坂商人が相場を決定するため、思い通りに進まなかったそうです。
それでもあきらめませんでした。
吉宗死後、
細かな数字がびっしり書き込まれた大量の紙が見つかりました。
それはすべて米価に関する計算が書いてあったとか。
徳川吉宗は大変な仕事でしたが、
決して投げ出すようなことはなかったのです。
しかし、
昭和に入り、軍事政権は
「商人は小ざかしい」と、
世界初の先物取引を発明した堂島市場を閉鎖してしまいました。
金融先進国の芽を摘んでしまったのです。
頭のいい吉宗はなんとか対応しようとしましたが、
頭の悪い軍人は対応するのが面倒くさく、投げ出してしまい、
切捨て御免と、閉鎖してしまったのです。
金融の芽を摘んでしまった罪は大きい。
コメ市場が続いていたら、日本は金融先進国となっていたことでしょう。
アメリカ流の金融でなく、
だれもが納得できる
日本流金融が世界のスタンダードになっていたかも。
このブログで
「金融DNAは大阪人がもっている」と書きました。
お金のことに関しては、関西人がリーダーになってやるのが一番。

「上に立つ人は頭がいい人でないとね」

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