征夷大将軍について書いてきました。
ここで、平安時代に京での征夷大将軍の位置づけについて書きます。
(資料は、世界文化社「平安京」から)
征夷大将軍は桓武天皇が蝦夷征討をと、坂上田村麻呂を任ぜられたのが始まりです。
征夷大将軍を任命したことで、この蝦夷討伐が大成功しました。
このときの蝦夷【えぞ】とは、東北地方をさし、未開拓の地を意味します。
それから、関東に平将門の乱、瀬戸内海で藤原純友の乱が起こったとき、
今度は、平将門を討つため、藤原忠文を征東大将軍に任命します。続いて、瀬戸内海の純友討伐にも藤原忠文を征西大将軍に任命。
征夷大将軍、征東大将軍、征西大将軍と、行く先が蝦夷なら征夷、関東なら征東と呼んでいます。(源氏の棟梁を征夷大将軍と呼ぶのは、奥州を平定したからでしょうか)
鎌倉幕府以降、征夷大将軍に任命されることが大変な名誉となりましたが、
平安の公家たちの眼中には中央(京都)での出世だけが目的で、地方での乱などは関心がなかったそうです。

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