あとまあ、その、前にも書いた、
例の、接触したロック部部員、
というのは、「米米クラブ、
(だったかどうか忘れたけれども、
とにかく、そんなような、
メジャーな成功を収めた、何かの、
バンドの名前を言ってたんですが)
が、「沖縄の、地元の、
ローカルなロックバンドとかには、
どうしてもかなわない」とか言っていて、
それで、何いってんだよ、
あんなに稼いでいる、米米クラブ
(か、それか、他の、メジャーな成功を、
収めた、何かのバンド)に、
沖縄の、地元の、ローカルな、
ロックバンドがかなうわけないよ。」
みたいな事言っていて、まあ、
それは、まあ、べつに、自分(KURIHARA)、
に、同意を求めたり、共感を求めたり、
とかそういう感じでもなくて、
わりと、皮肉っぽい、ライトな嘆き節、
っぽい、独白っぽい感じだったのかねえ、
とか、今思ってたりしてますが、まあ、
ニー○ーズの、「自分たちが、
タ○リさんと、競演する事も、
もちろんありうるわけです。」
とは、ずいぶん違う、いさぎよい、
さっぱりしてたような所があったのですが、
まあ、自分的には、ちょっと、
さっぱりしすぎじゃないか?、みたいな、
それは、夢が無さすぎるんじゃないのか?、
みたいな、こう、なんというか、
やっぱり自分的には、「「未定の未来」、
というか、「不定の未来」、みたいなような要素も、
残しておきたいし、やっぱり、先の事は、
やっぱりわからないよな、みたいな、
「先行き不透明性」、とかも、残しておきたいし。」
みたいなような感じで思ったりして、
されで、「なにしろ、それは、「思想性」、
「文学性」が、無さすぎるよな。」みたいに思って、
それでまあ、一応、ロック部にも入部したけれども、
ほとんど、ロック部には顔を出さなかった、
みたいなところもあったわけですけれども、
それで、まあ、あれですよね、まあ、その、
自分が行っていた、小説と映画の研究サークルの、
ボスみたいな、ハーフの人とかも、
割と、自分は「目利きの人」とか、
そういう感じぐらいだろうねえ、
みたいに思ってたような、ところとかも、
あったみたいなんですが、まあ、
そんなような、話とかもあったりしますが、
まあ、とにかく、もう、いろいろ、
ゴチャゴチャして、ゴタゴタして、
もう消耗して疲れたから、
まあ、とにかく、いったん全てを白紙に戻して、
もう、とにかく、実家にかえって、
とにかく落ち着こう、みたいに思ったわけですが、
その、沖縄から、実家に帰ってからの、
10年以上の歳月の、時代のほうが方が、
もう、沖縄在住時代とは、くらべものに、
ならないほどの、とてつもない大変さ、
とてつもないしんどさ、とてつもない、
もう、なんと言っていいんだろうかねえ、
もう、消耗、披露、神経がすり減るような体験、
寿命が縮むのじゃないか、ってような、
大変さになってしまったわけで、
まあ、自分的には、沖縄在住時代よりも、
山梨に帰ってからの、10年以上の歳月の、
時代のほうが、ずっと大変で、
しんどくて、もう、自分的には、
沖縄在住時代よりも、山梨に帰ってからの、
10年以上の歳月の時代ほうが、自分的に、
「とてつもなく、ずっと大変な時代」、
みたいなような、意識を持ってたり、
するんですけれどもね・・・(OTO;;)。とまあ、
今回は、これくらいにしておきます・・・(OTO;;)。

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