お盆も終わり通常の日曜、明日からはまあ平常の伊勢の日々が再スタートなんだけれどいいタイミングかも知れないのでこれを記します。
地方都市に巣食う空き家の問題。この悩める問題、例えばそこに住まっていた主人が他界し、住む人間のいなくなった家屋が放置される。その後の所有者は既に別の土地で仕事や家庭を築き生活、ただ放置されてる実家の所有者として君臨してるものの、放置物件においては先送りなわけだ。
親類縁者で談判し、売って手放し新所有者の判断で駐車場になったり新築の家が立ったりならまだいい方。一番難儀なのが、血縁者の誰それが帰省し住まうかもしれない?とか、好景気の再来まで粘り売りたいとか。
これって自分達を育んでくれたその土地やその地の風土に文化など全く尊重出来てない考え方だとボクは思うの。放置物件の所有者であるということがここでは全て。貧しい考えですよコレは。
兎にも角にも所有者である自分をアップデートさせることで、自分を育ててくれた土地の将来を想ってみてはどうでしょうか。もう腹をくくって欲張らずその所有権を最低限とかで町に買い上げてもらい換金する。それから町はまた安く、その町のためになるだろう人を選別して土地や家屋の提供を考えるとか。
土地というものは、長い時間の推移も経てその土地のものだ。所有者なんてのは二の次の問題であるからしてのさばるな、威張るな。
欧州の何処だっけ忘れたが、住民はこの考えに基づいていて。建物も土地もその地のもので自分達はその所有者というよりも管理者なのだという考えが徹底してることを聞いて頭が下がる思いだった。所有者じゃなく、大事なプレーヤーとしてその地の将来にきっちり参加してるんだよ。大人だよね。
盆だ遷宮だということで伊勢を出て所帯を神奈川などで持ち東京で働く人たちがこれ見よがしに帰省してはお祭り騒ぎで帰って行くことを繰り返す。不毛だ。
高度成長経済の中で団地にアパートにマンション、一括りに言えば集合住宅な人達。そんな「集合住宅メンタリティ」のステータスは「所有者」たることかい?それならそれで、安っぽい故郷なんて捨てちまえ。なんて意地悪く思うのだ。
以上、GW や盆はどうもボクを毒づかせる傾向にあるようです。荒書きは反省はしながらも、このままアップ。そうだと思う人いたら手をあげてね、孤立すると辛いから。
建築家さんもこれ考えてください。建造物以前の問題です。ウイルスですからこの「集合住宅メンタリティ」、手当や対策考えないと、建てては壊す大手住宅メーカー先行じゃ日本の住環境、世界の笑い物になっちゃうよ。施主さんも適当すぎ、商売ばかりじゃなくお互いにケンカしてでも未来の住環境に携わるようなホンモノのこころの建築家さんよ出よ!

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