現代美術の最近と僕
2000年以降ソフィ・カル、杉本博司などの写真やオブジェと並行させたコンセプチュアルな方法での作家や、オタク文化をバックボーンにした作家が主流になど、一色に染まるような特別なムーブメントは無いものの、落ち着いたアート・シーンが展開されてる感じがしてる。 しかし僕自身自分のことや、好きな作家の近辺を中心の考察だから評論家めいたことなど言えないので、お断りしておきます。

ソフィ・カル
小説の主人公に本人がなりきるドキュメンタリーな彼女の作品。ダブルゲームと言う作品を本にしたり。

杉本博司
ジオラマシリーズ NY自然史博物館のジオラマを写真を媒体とし作品化。骨董、建築、文楽、東西に巡る博学を持って作品を構成するその仕事ぶりは圧巻、僕も尊敬してます。
以下ある記事の抜粋です。
現地点2011年で、第一線において、ゲームの参加者(作家、評論家、収集家)は世界で50人もいないという。収集家の多くは金融長者に武器商人などの大金持ち、悪魔めいた心の壊れた人々。それが自分のコレクター、業界の主役は彼らで作家たちでは無い。桃山美術の主役が信長で、狩野永徳でないのと同じく。(村上隆・談)

村上隆 Tan Tan Bo 2001年作

Cherry 2005年作
これはルイビトンとコラボでバックとして商品化。今じゃなんでもないことの様に聞こえますが、ブランド品に逆にアートが乗っかるという、言わばウオーホールのキャンベルスープの逆の仕掛けが味噌だったみたいです。新機軸すぎてそんな本人の意図が市場ではうまく嵌まらなかったと著書に記されてます。

Eye Love SUPERFLAT 2003-2006作
天皇に神道、京都や仏教や禅の文化と対極としてのサブカルお宅文化にスポットを当てて世界に提示したのが村上作品です。日本の伝統芸術にサブカルお宅文化、何も繋がりが無いようですがとんでもない。外国から見たら直結してるんです、日本の文化と言うのはアニメやゆるキャラ、際どいロリコンまで含め総じてエキゾティックでエキセントリックなのです。村上はそこをつまみ上げて、西洋的なビジネス戦略も駆使して第一線で格闘をして勝ち上がったのです。彼のやらかすことはアートシーンの第一線で受けました、これぞ日本にしか無い日本特有の文化をベースにアートに仕立て上げたからです。
日本人の我々が、その作品を好きだろうがそうじゃなかろうが、そんなことは現代美術のてっぺんじゃどうでもいいことなのです。彼らの認める作品の価値と言うのは、ほらこんなふうに物事をもて遊んじゃうとおもしろいでしょ、そしてそういう作品を買う僕っておもしろいでしょ。これが、大枚叩くコレクターという人々だと村上は著書に書いています。僕にもこれはよく解ります、NYで遊んでるお金持ちはホントこういう人達なんです。人間らしくない人達とも言えるかな……まあ日本にもいますよ、骨董の蒐集家など。彼らにも通じるメンタリティーですね、金銭的規模の違いこそあれ。
まさしく価値観の捏造が現代美術の肝と言っても差し支えないと思います。生命って何だ、死とは何だ、人間は何故争うんだ、愛って何だ……もちろんこれらも現代美術が踏んでいかないとならないテーマです。しかしそれを正面から表現するだけじゃ芸がありませんよね、なのでアカデミズムから批判の対象にもなってしまうようなキワドさや振り幅を持ってるのもまたアートと言う毒であり薬であるのです。
先の村上隆・談もこんな話しをベースに考えてもらうと解りやすいと思います。上の話は現代美術界のてっぺんの話、彼はハイブロー・アートと定義しています。現代美術の第一線ですね。しかし当然のことながら、ここまで辿り着くことの無いアーティストが世界中に存在し、爪を研いでもいます。現代美術など関係無く自分の意志の赴くままにだだ好きな作品を作っている作家もいます。もちろんこういう人の中からも第一線のスターが生まれたりしますが、これは偶然で時代やギャラリストが生み出したものでもあります。地下鉄の落書き描いてたキース・ヘリングやバスキアなどがそれでしょう。プロデューサーとアイドル歌手みたいな関係ですね。
上に記した現代美術のてっぺんハイブロー・アートとは趣旨を異にして、日本に限らず世界中で、とにかくありとあらゆる人々が、アートという名目でそれぞれに違うルールで同じゲーム(中身は全然違うにもかかわらず)をやっているようなものです。ですから、鑑賞する側は、アートは何が何だか解らないのです。これには付き合いきれません、ルールがないとゲームが楽しく進行しませんよね、なので僕自身はハイブロー・アートのルールをしてアートを鑑賞し、また自分の作品にも反映させる方法をとり始めて数年経過しました。実はサトナカ(その中身、文脈において)なども、そんなアタマで生まれたアートだと僕は思っています。市場では、プロダクト・デザインという着物を纏って振る舞ってはいるのが皆さんのサトナカですが、僕のサトナカは前者だということですね。
http://www.emelon.net/satonaka/index.html
あと日本の画壇、芸術界が超曲者であることに触れておかなければなりません。ひとこと「特殊」です、これは悪い意味です。芸術・アートは、鑑賞するものから転じて観念のゲームになった、と先に書きましたが、彼ら日本の画壇はこれを無視、見て見ぬ振りをしました。欧州の伝統や権威ばかりを崇め、新しさにはそっぽを向いたのです。
しかしとは言え、作家も自己実現に精進し制作を続け、後援者の支持も得られれば、それが生活の糧となり生き続けることができます。僕もまがいなりにも、どうにかそれをしてきたわけです。今日本は多くの困難に向き合い、その経済も生活も停滞している中で作家としてサバイバルしてくための方法は人それぞれでしょう。それが第一線じゃなくとも、好きなことを生活の糧にして生きていけるなら、鮨を愛する鮨屋さんと同意ですからね。どんな小さな市場だって、換金価値のあるもので生計を立てて生きていることに文句は言えません。
最初NYに渡った地点で僕が目指したのはアートであり現代美術であった。僕のいた80年代NYは、new painting ブーム、これは現代美術の流れの中では、「考える事は止めて本能の赴くままに描こう運動」なんていう時代、つまりモードがこれだった時代ということ。僕はその中で次の時代を創造したくてこのモードから外れたわけじゃなく、深く絵画を考えてみたくて時代を逆行し古典絵画の技法を自分のスタイルとした。しかし結果、僕のやってきたことは、鑑賞するための絵画を作ってきたということだった。これは美術装飾品であって、日本では芸術と言うけれど、NYでいうアートや現代美術では無かったのです。
ただ僕としては、どんなにちっぽけであれ現代美術というものにファイティング・ポーズをとって、参戦の準備だけは整えておきたいとここ数年思っています。上がれるリングがあるのか、はたまた無いのかは解りませんが。思えば10年ほど前、京都で活動してた頃は現代美術は僕の意中にはありませんでした。しかし今までの僕の取り組みや、やってきたアートを巡る歴史をもう一度整理整頓し、必要だと思うものを磨き、不要なものを捨て去る行為の中で、この時代にこうして絵を描く以上は現代美術と対峙しないわけにはいかない思いで一杯なのです。このあたりの僕の意思表明は最後にまた記します。
そしてこの章の最後に、僕がここで何故にこうして長々と現代美術の100年に及ぶ歴史を語ってきたかと言えば、これらの過去と今後生まれくる作品が、すっと線でつながっていないものは第一線では現代美術やアートと呼ばれないと思うからなのです。例外はあるにせよ、歴史を踏まえて、それを遊びきらないとアートは生まれないよということなのです。
さて次回はこのシリーズの目玉とも言うべき、アートの鑑賞法と現代美術のルールに触れなければなりませんね。じゃないと、叱られそうですから。

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