十一面観音像
acrylic and mixed media on canvas board 2017
409 x 318mm © Takeshi Nakatani
Eleven-headed kannon bosatsu
material / wooden sculpture
dimension / 171cm (68in.)
location / Daiho-ji in Nagano, JAPAN
artist / anonymity
date / Heian period, 794 - 1185 ce
マイナーの挟持
人には分がある。それはその人間の正しい居場所と言い換えられるかもしれない・・・
よく思うことがある、自分が有名・著名だったら? さぞかし嫌な奴、傍若無人な奴に違いないと。リッチ&フェイマスな天狗にでもなってしまったら、それこそ後で収拾がつかないような
だからこのようにマイナーとして、下から上を睨め付け、思ったことを自分の仕事や生き方に活かす。これでホントの偽りのない自分が育まれる、そんな気もする。
人生も勝負事のように考える時がある。ホームゲームばっかり強くたって駄目でたまには敵地でもいいゲームをすることで大事な何かも埋められる。
ホームとアウェイを繰り返し、そんな環境・振り幅の中で自身の勝負が打てること。定期的に旅に出る心境もそんな自分を反映してる行動なんだろう。
勝負といっても勝ちが上で負けが下というものじゃない。負けの方から多くを学び次の勝負に活かせる。人間は負けるかもしれない土俵に上がって自身を試さなきゃいけないと常々思ってる。
たまたま勝利に恵まれ、メジャーになって今よりもずっと沢山の人に自分の仕事が試される。これも素晴しいことだ。しかし、それが自分の居場所か?というと正直そんな気がしない
自分の分や宿命、そういうものこそ大事にすべきじゃないかと想う自分がいるからだ。
ニューヨーク時代に I’m poor オレは貧乏だ、なんて友達に言ったら You are not poor お前は貧しくなんてないぞ。お前だけの才能がある、それはいつかお前を今以上に豊かにする、なんて返された・・・そうだオレは poor 貧しくない short of money 懐が寂しいことが多いだけだ、と思うようにして今に至る。
そういう分で宿命なんだろう。しかしここで客観観測してみると、自分は人に雇われずに自分の有り余る時間を自由に生きてきた。今や残りも限られつつあるけれども。そして多少人に迷惑もかけたことも認める。
働きに出て自分の時間を雇い主に買ってもらわずとも、何とか好きなことをして自分を生きてる。十分に善しとしなきゃならんのかもしれん・・・
マイナーとしての挟持はもってやっていきたいと想う。
リッチ&フェイマスが、ホンモノか偽者かを測る指数や基準であるはずがないと思うし。人間量より質じゃないのって
自身の定点観測地点を持つことは大事なこととも想う。定点は自分の心体だが、観測点はホームであり様々なアウェイであるのだ。
東北ツアー・ラザルスを数日後に控えて、本来の仕事が手に付かん日々を過ごしている。こういうことってあるよな、そうよ旅は行く前から始まってる・・・
Have a nice day, everybody !

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