売るヤツ買うヤツ その強度
sellers or buyers about their strength
我が社で販売の牛頭天王注連縄が店頭に並べると結構売れる。有り難いことなんだが生産が追いつかず嬉しいかな悲しいかななのだ。それに輪をかけるように卸でくれ自社でもぜひ取り扱いたいと言われるとコレまた余計に困ってしまう。
この商品というかボクのプロダクトのいくつかははっきし言って欠陥商品だ。まずゼロから設計図書いて自分で雛形サンプルをひとつふたつ作る。それをもとに数人の職人さんに無理を強いてお願いしパーツを作ってもらう。それらを合体し最終仕上げして出来上がるため、速やかかつしっかりした量産などが出来ない。だから卸売なんてよっぽどじゃないと無理。
おまけにこの注連縄なんだけど、ごく稀にパッケージ内を脱穀虫みたいなのが這う時がある。昨年の今頃も菰野でのイベント販売の折それが出た。うわっ、と驚いたが考えれば食品でもなし自然良品であるわけだし出るわな(笑)ビニールの角を切ってそこから出て行ってもらうことで済ました。
にも関わらず売れ行きは良く10体ばかり出た、かの虫によるクレームも頂かなかった。いやクレーム前にイベント販売終了で店舗撤退による幸運か?有名巨大百貨店などでこういうことが起きればもう我が社は The End だろう・・・ああ怖っ !!
しかしながら同時に考えさせられる・・・クレイマーとまでは言わんが目くじら立てることと、それほどでもないことの線引きみたいなもののあり方について考えさせられるのが今の市場で風潮じゃないか?
話は変わるが、安藤忠雄の住吉の長屋について、住まう人間に不便を強いる建築なんて言われ方があるけどどうだいそれ?住まう人間は最初試されるかもしれない、しかしそれが転じそこでの生活が喜びになるとしたら?それが安藤建築の落としどころかもしれへんしね
まだ渡米前に寄席で談志が客席で居眠りしてる客に、高座から噛み付いて帰れと促した。もっと前には志ん生が飲んだまま高座上がり噺はせずに居眠りして席を笑わせた。これらおしなべて芸と直結してるハプニングで、こういうことに目くじら立てる環境(市場)の方の懐の浅さで器量のなさをアタシはここで嘆いてるんで
逆にそういう掛けや勝負に打って出れへん、がんじがらめな市場における有名巨大百貨店ってことじゃんか・・・
小さく不便で出来損ないに近いモノなんだが、それらのもつ精度と本物度ってあると思う。昔からある郷土玩具などはそれに近いものかもしれん。ボクはそういうのに心惹かれるので、今の市場のご機嫌だけ伺った商品を目の当たりにすると「けっ、時代と寝やがって・・・」なんて意地悪く思うのだ。
時代や社会とのハーモニーを自分なりに見極めたい。それに沿うモノを拵え対価をもらうのがクリエイターのお仕事でもある。しかしそれだけに止まらない、ストライクゾーンからちょっと外れてるが面白いモノもある。個人の悦楽に終始した社会的には無責任極まりないけれど、大事なコトに着地してるアートなんて領域も目を背けずに大切にしたいと思うのだ。
もとい。与え手(供給)受け手(需要)のバランスと調和に美しく折り合いが出来たときに、作り手から生まれた商品が買い手の元で開花し実を結ぶのであるはず。扱う側そして受ける側から使う側の器量が問われるのが真剣勝負の場である市場。そんなこんなを少し考えてみた。
追記 宿泊施設だって同じくなんだよね、パライソウメダも最終コーナーだし・・・

牛頭天王注連縄 3,400円 協会店頭にて販売中

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