2007年から一年数ヶ月を要し、仲間も頼んでセルフリノベーションしたネオ・ウメダも早10年(2017年現在)を経過。途中2015年から目出たく友人西岡くんがここでBee Nishioka を独立起業し2年間スタジオとしてくれた。その後2017年秋の台風、浸水被害まで重なり劣化に損傷も進んだ。
古い建物だしこのまま放置してたら隣りで生活してる皆さんにも迷惑だ。しかし解体だけしたところでそこまでだしつまらない、何も生み出しやしない。どうするにしても資金繰りを考えると進まず気ばかり焦った。
友人で建築家の米田くんとこうすればどうだ、ああすればどうだとのやり取りを繰り返していたそんな折、ある方が好条件での資金援助を申し出てくださった。そしてエメロン(現中谷武司協会)の相棒橋本ゆきと運営してる古民家一棟貸したらちねの営業に稼働率もまあまあ順調に来ていた。
やる他ないなと腹を括った。だがそのやり方に想いを巡らした。
この物件を11年に前家主の梅田さんから無理して買うことで、自身への風変わりででかい教材とした。このボロ家にリノベーションで挑むことで、今は無くなってしまった生家にあった、昔の日本の家屋にあった何かしらを取り戻し、そんな自分の気持ちを埋めたかったのだ。
梅田さんの言われた言葉を忘れない。「私はここで18まで過ごし、高校卒業とともにここを出て大阪で就職し、その後は桔梗が丘で暮らしてます。年老いた母親も既に他界しました、そして私も既に72歳です。しかし 18/72 をここで過ごしたのでなく、私の70〜80%がここで育まれたのです」と。
人にとって故郷や生家というものをこれほどまでに言い表した言葉をボクは他に知らない・・・
to be continued

2007年、入手したばかりで手つかずの梅田邸

有志友人に集ってもらい、一年と数ヶ月を要してセルフリノベーション

店舗じゃないので主張を抑えた佇まいに着地させました

冬場土間では薪ストーブを焚き暖を取った日々を懐かしく思い出します
stairway to heaven 天国への階段という作品めいた造型

展覧会なども催したり 2009年でした

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