LED ZEPPLIN
昨日は公立高校の受験の発表日みたいでジョギング途中にニコニコ顔の青少年に多く出くわしました。そんな季節なんだな、よしそれなら今日は1975年ボクが15歳高校に入学したばかりの頃のエピソードを書きましょう。
ボクの高校は宇治山田高校と言って当時は日本も成長期で生徒数も多く、学校群制がしかれてて結構な進学校でした。ボクは中学でも成績なんて良くなかったのですが、変に自信があって3年生の夏頃からいったん馬力で勉強してその高校に受かっちゃいました。
それで入学して校内統一テストというのがあって、学年順位が出て来るんです。それ見てビックリしました、450人いるんです生徒、5人休んでて試験受けてないやつがいて、445人受けたんです。ボクは444番だったんです。ショックはありませんでした、あっやっぱりそういうことだったのか、マグレで滑り込んだんだって感じで。高校入学し10日目でいわゆるエリートコースは諦めました、当然勉強にも全然付いて行けずの劣等生ですね。
そんな学校へは遊びに行ってたようなものでした、ボクは伊勢で言えばシティーボーイだったので学校まで徒歩10分、中学時代の学区は違えど近所にクラスメートも出来て彼らとも仲良くなりました。そんなクラスメートが榊原君と英毅くんです。英毅君の方は小学校の頃から書道塾が同じで顔見知りでした、ある日彼と同中友達の榊原君と3人で歓談していました。そうしたらボクの知らない単語がポンポン飛び出すのです。レッドゼッペリン、クリーム、ディープパープル、グランドファンクレイルロードなどなど、聞いたことあないものばかり。彼らはロックについて談義してたのです、ボクはポカンとしてました。そしたら榊原君が「おい中谷、放課後君も今日家来いよ!」ってことになり英毅くんに便乗、榊原家を訪ねることになりました。
彼の家はうらの橋という商店街の一角で、きれいなお母さんが化粧品屋を営んでいました。2階の彼の部屋にはステレオセットにエレキギター、そして沢山のLPレコード。彼いわく兄貴の影響でボク今ハードロックに嵌ってるんだ「エレキをシャカシャカジャーン」と掻きながら言うのでした。榊原家ではお母様よりケーキに紅茶などを頂き、ハードロックの名曲にそのバンドの特色などの講釈を聞いて、帰りにはレッドゼッペリンとディープパープルのアルバムを借りて帰路に。
今でもおもしろいと思うのは隣の学区で育った彼らの遊びと、僕らの学区のそれとの違いです。ボクは小さい頃から楽器はとんと駄目だったし、その当時も聞いてる音楽と言えばTVの「傷だらけの天使」や「前略おふくろ様」のサントラなどでビートルズちょこっと齧ったくらいでローリングストーンズすら聞いたことありませんでした。ボクの通っていた厚生中学時代の仲間の中にはフォークソングをやってる連中も多くいましたが、かぐや姫とか吉田拓郎その他、でもあれらはリアリティーがありすぎて自分は受け付けなかったのです。なんか女々しく陰湿な歌が多かった。それが歩いて10分もかからない宮川中学の彼らは欧米のロックを聞いてるなんて、恐るべし宮川中学の奴らと思ったものです。文化というものはこのようにちょっとした人間たちのスパークや化学反応によってとってもおもしろいものに結実するんだろうなって思うんです。なので、こじつけるつもりはありませんが、スパークしやすいように凝縮した生活や町がいいと思うのです。クラスメートなんて言うのは違った個性のやつらが沢山いればいるほどにおもしろいのです。点々バラバラな都市構造からはおもしろい文化は生まれないと思うのです。
そんなボクはまた最近その頃のロックをよく聞きながら仕事したりしてます。画像は Led zeppelin の名盤です。英毅君とはたまに会います、彼は今彼の人生においての大仕事の最中です。外宮のご正殿を仕切る棟梁なのですから頭が下がります、オフの日には好きなストーンズをたっぷりと聞いて疲れを癒してほしいものです。榊原君はどうしてるのか解りません、そのときだけで付き合いが希薄になっちゃった、元気でハードロック聞いててほしいです。
それでは皆さん、いい休日をお過ごしください。
ちと恥ずかしいですが、左から榊原君丸山君ボクそして、花木京似の英毅君。榊原君もホントにチャーみたいだな。

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