開催中の個展会場より、絵のベースにした肖像写真数点。
http://takeshinakatani.jp/exhibition/index_sp.html
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GWになると伊勢の飲食店で出くわすひとつの風景を今日は記します。昨夜の珠家でのお話。
僕は展覧会の疲れを癒すためにカウンターの角でスタッフの小川を構いながらウイスキーの水割りをやっていた。そして新潟からロング・ドライヴで参拝に来たカップルと少し雑談をしたりして、酒場の空気をお互いに気遣いながら構成した。
少しして絵に描いたような団塊世代の親父さん奥さんプラス娘の3人様がご来店、最初は2階席に案内したのが気に入らないらしく1階に陣取りたい意向で、5席の1階カウンターに特設席を1つ設け先の新潟カップルと僕は席を詰めることになった。これに問題は無し、席を譲り合い客が同じ方角を見つめて酒を楽しむことは美しき光景だと思ってる。
さてこの団塊親父(僕の中では悪のレッテル)率いる3人組の態度が宜しくなかった。
無言、当然のごとくの振る舞いでもってカウンター席に付き、それぞれがグラスワインを注文し、親父を軸にワインのにわか蘊蓄を始めた。僕自身は葡萄の品種や醸造などに興味など無いが、ワインについてそれなりの経験で人並み以上の研鑽はあるつもりだ。そんな僕の見立てだがこの団塊親父のワイン知識は明らかに「にわか仕込み」で「付け焼き刃」なことが解った。「サライ」にでも学んだろう。僕は何もワイン学でもって彼の揚げ足を取りたい訳ではない。
彼らに不満なのは「先にあった空気に断わりを入れる行為を怠った」こと。それが今日の僕の「義憤」である。
もしも僕がこの親父なら、そこにいた先客(僕たち3人)に対して席に付く前に「お隣失礼、ご一緒させてもらいます」とひと言仁義を切ることを怠らないようにしたいと思う。それが大事な「先にあった空気に断わりを入れる行為」だと思うからだ。
「先にあった空気に断わりを入れる行為」これを大事にしてきた美しき日本人が無くなっていくのは悲しいこと。
これのアナロジーが神宮参拝にもある。参拝の際の「柏手・かしわで」がそれ。その行為は「自然や森に自分をチューニングすること」で同じく「先にあった空気に断わりを入れる行為」だと僕は思うんです。
都会(東京は特化してますが)にいると大きなものの中で目立たない家族が、伊勢に来ると妙に目立つ。旅をしながらも自分たちの日常を当て嵌めたがる図式?中には都市が上で地方が下みたいなヒエラルキーで旅をしてる人もいたりして閉口するときもあります。
今日書いたことは実際にGWやお盆によく伊勢の酒場などで見かける光景なのです。僕はこれをひとつの症候群として、今記してるように密かに研究したりもしてます。何故なら今の日本の家庭や家族や組織に直結してる事象で現象に思えるから。問題をあぶり出し、そのための解消方法のためのヒントくらいは潜んでるかもと思うから。
とは言え僕自身なんかもたまに都会に出るとつい浮かれてしまい、その場の空気を壊しかねない行為には十分に注意を払わないとヤバいと自身に言い聞かせるようにしないと。上記の家族にも噛み付きこそしませんでしたが、意地悪のひとつも言いたくなる相当に小さな自分も戒めないとなりません。

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