1963-4年頃の僕、近所の写真館にて撮影
場の科学_03
さて今回でこのシリーズのまとめに入ろうと思います。河崎で暮らし店などにも関わりそしてまた伊勢を見つめてきた中で、思いついたコレが大事なんじゃないのだろうかということがあります。
これまで参道や店舗について書きましたが、それは「生活」ということです。住むための場が決まれば、次にそこで営まれるのが生活。生活には衣食住つまり最低限の生活していくための物資が必要なわけです。昭和では町内の個人商店、そして小中百貨店などでそれを賄って来ました。その後平成では大型郊外型百貨店に移行し、現在ではwebのオンライン販売にまで進んでいます。
よくシャッター商店街などと言われていますが当然です。そこに生活を営んでいる人間がいないわけだから宿るものなど無い。商いをやりにいく場所だけじゃ無理がある、最初に生活をしてる人々がいる場所で必要な物資を供給することが本来の商い。生活と商いの場を同じくすること。かつて新道だって高柳(伊勢の一世風靡した商店街)だって商いと生活は共だったのです。それが崩れ始めた頃から町がおかしくなっていったのを感じるんです。商業店舗法なんていう行政絡みのことも少し聞いた覚えもありますが?
そしてネットではやたらシェア・共有してるが、生きてる生活の現場ではそれほど行なわれていないのがシェア。バラバラに点在せずに、出来る限り要所に集まって暮らす生活をすることで共有出来る施設は共有する。映画館や銭湯やその他沢山の種類の商店。自動車に頼りすぎる生活も改めたい、それがスタンダードなんて町はつまらないと思う。
大戦で焼かれ一度リセットされた町が生活者の衣食住や生活に交通の導線によって自然に町が形成されていったのです。栄華を極めながらも進化の中で不備が生じる。物資や仕事やマネーが行き渡ると、バスや電車の公共交通手段よりも自家用車が幅を効かす、そのため交通網や駐車場の問題がある駅前商店は淘汰される。優先順位が人々のこころよりも自動車になっちゃった。ひとつの郊外型大型店は複合商店だから食事・娯楽・買い物・英会話ついでにペットも買っちゃおうとなってるのが現在。生活は、郊外に大きめの家を建て家族一人ずつの車生活のための駐車場も確保。
店のせいにして駅前の不整備を嘆くよりも、まずは僕たちのアタマ切り替えて、小さなものの集まりながらも自分たちで足並み揃えて実践することが肝要だと思うんです。大きな経済力やその流れは変えられない、しかしそれだけじゃ違うと思う人は沢山いると思う。変えられないものがあるにせよ自分は変えられるでしょう、それらが集積したらおのずと変えられなかったものだって変わらざるを得なくなると思う。それがいくら大きくたって関係無く、本当に大事なものごとを決めるということは、一人一人が基準でそれは個人が起源だということじゃないでしょうか?会社や組織が基準じゃ、その基準は倫理じゃなく利益に殉じると思うんです。
店を考え、伊勢を考え、人を考え、またその人たちの心を考えしていくうちに日本の過去から現在そして未来を考えることになってしまった。これは手強い一筋縄ではいかない問題なので今後も考え出来る事は行動したいと思います。粗末な検証の部分もあるかもしれないけれど、ここにこうして記すことで町の未来のための小さな火種ぐらいになれば幸いです。
こうして書いているうちに僕たちが出版してる「あるく!マップ伊勢」をまた紙面とは別の表記での精神あるものにすることでもあるのかも、そしてそれは無意味じゃないと僕には思えて来たのです。そしてピンと来た人は、ひと言でも感想やエールなど反応をお願いします。こういう独りきりの作業は人間の精神を孤立させるものです。自分と考え方の異なる人々の顔ばかりがアタマの中を右往左往していく感覚です。十数年のブランクはあれ51年間伊勢を自分の視点で見てきた僕の証言と検証と希望を書きました。
今回のシリーズはこれでひとまず終わりますが、「あるく!マップ伊勢」や店舗に関わってる関係上きっとまた新たな壁にぶつかりその度に悩み、考え、策を講じ行動を起こすことの繰り返しだと思います。それが今を作っていくことだから正面から受けて立つ以外にありません。それが今までに無かった新たな物事の文法の制作で骨が折れる作業であるにしても。ちょっとカッコ良く気張り過ぎか?
最後にピーター・ドラッガーというウイーンの経営学者の興味深い話しをひとつ
ある人が工事現場の脇を通りかかり、汗を流して働いている数人の石工に、「何をしているのか」と問いかけました。一人目の人は、こう答えました。「これで食べている」と。二人目は、手を休めずに答えました。「国で一番腕のいい石工の仕事をしている」と。三人目は、目を輝かせて答えました。「教会を建てている」と。工事現場の一番奥には、こう答える石工がいました。「この地域の心の拠り所をつくっている」と。
知識労働者については、「仕事の報酬は、仕事」が最大の動機だといえます。

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