
杉本博司 Sea of buddhas 1995
先週末、四国は丸亀に杉本博司の展覧会を見に出向いた。年4回のシリーズ最後の「アートの起源/宗教」というもの。
http://www.mimoca.org/ja/exhibitions/2011/08/28/110/
数百万年を要した猿人類から現代人への変化の僕たちの歴史の中で、僕たちには「意識」が発生し育っていった。それは、自意識や時間の意識化で、僕たちの祖先は、自分たちがいつかは死ぬのだということを知ったのだ。意識を持った僕たちは生物界の中で特化した、そしてそれが誰によって与えられたのかをまた知りたがった。そして「宗教」の誕生が起こる。そしてアートもまた、そんな宗教に寄り添うように続いてきたのだ。
こんな括りで展開される杉本博司の展覧会なのです。
意識というものは、モノの正体や責任の所在を知りたがる人間特有のもの。他の自然界の生命体には持ち得ない我々独自のもの。しかし科学など、場面によっては知らなくてもいいものまで知ることで、本質が希薄になっていく。科学に限らず、宗教だって同じでアニミズムで済んでいたものが、自分たち人間に近しい姿カタチの神や仏を捏造したりもするから。宗教にしても科学にしても、考えよう(制御不能な人格や巨大な組織に飲み込まれた人格)によっては結構ヤバい。今現在僕たちが置かれてる状況がズバリこれで、何とも考えさせられる展覧会な道行きだった。
丸亀から京都に戻り、そのまま七条の三十三間堂に「千体千手観音」上の写真の実物を見学に行く。土砂降りの雨の夕刻の館内は薄暗く、鑑賞には最適だった。ホントに「Sea of buddhas ブッタの海」に漂流してるようなね。
その晩は久しぶりに京都泊、そしてこれまた久しぶりの先斗町漂流。驚いたことをひとつ、あれだけ気高に「観光客なんて他所さん」みたいに高括ってた先斗町の店が表で客引きしてた。もっと別の知恵絞りなさいよ、じゃないと日本なんておもしろくならないよなんて思った。そんな、ずぶぬれの旅だったことを報告しておく。
そうそう昨夜もNHKで「杉本文楽・曾根崎心中」やってました。んーんあれも行きたかったが、残念。
では皆様、いい週にしましょう。

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