伊勢にて
2004年以降、まるで霧の中を彷徨うような制作が続いた。不安もあったが、現代美術を意識しだした。これだと思える手応えのあるものは出来上がらず。しかし、腐らずに考え、それをカタチにすることをやり続けた。名古屋で個展をしたりもした。44歳になっていた、自分がここまでまがいなりにやって来れたのは、周りの人々の支援と、小さいけれど僕のやってきた仕事が人々に届いたからだ。古典絵画に属するような作品はアイディアだけじゃなくスキルで出来上がっている。これらは、自分の個性でもあるからやっぱり味方に付けておいて、プラス新しい仕掛けを考えることで、古典的な表現方法から、現代美術に仕上げて行くことを謀ろうと考えた。

The Becoming Oil on canvas_2006 45.5x37.9cm

butterfly Oil on canvas_2007 53.0x33.4cm

stone Oil on canvas_2007 53.0x33.4cm

powder of sympathy Drawing ink on paper_2007 30.5x23.0cm

Etchings 2006 Ed 30 / image size 10.0x8.0cm
絵画だけに捕らわれるのも止めにした。デザインまでも垣根無く意識してしまおう、自分の中で賞味期限のあるものは全て何処かしらでは繋がってるに違いない。肩書きや他人の認知の中だけで仕事せず、自分の信じることをやってたら何処かで誰かと繋がるだろう。それが、絵画、アート、デザインであれ、僕の持ってるただ絵画だけやってる画家には持ち合わせない僕の個性じゃないかと自分に問うた。画集を紐解くよりグラフィックデザイナーや、建築家の仕事の本を気ままに参照した。耳にする音楽すら様変わりした、古典技法で油彩を描いていた頃はバロックやオペラなどクラシックばかりだったのが、ノイズ系の毒っぽいインダストリアル・ロックなどをガンガンかけた。そんな音源のCDのアート・ディレクションがお気に入りのデザイナーの仕事だっりしたからだ。

nine inch nails のCD。David Carson というデザイナーの仕事。
当時辛かったのは、自分のそんな気持ちが上手く周りには伝わらなかったこと。今まで僕の作品を買い上げてくれていた僕の支持者は、変わらず今までの僕の作風の作品を求めていた。彼らにとって僕は裏切り者なのか?はたまた詐欺師か、画風が変わることは商いを変えるに等しいか。悩んだが、前に進むしかない。世話になった人々だから、丁寧に言葉を配して伝える努力をして、新たな作品やデザイングッズも実際に見せた。しかし、ほとんどの場合、何だコレはと思ったに違いない。今までの作品は、あまりにも絵画であって、それは解りやすいモノだった。そして新作絵画にしても何かを語るチカラに欠けていたと思う。でも蜜月が終わるのも、世の常だと飲み込んだ。僕自身だって正念場だったのだ。
2006年1月 胸腺腫が見つかり、開胸オペにて摘出する。仕事じゃ無い部分でも考えさせられることになった。幸い悪性の腫瘍でなく現在も以前と変わらず元気に過ごせている。改めて「病、老化、死よりも、今ここにこうして生きていることの不思議」を想った。検査、DR.との話し合い、入院&手術、退院を2ヶ月と少しで終えた。それは、今まで知らなかったし、もちろん行ったことの無い場所を旅して来た気分だった。その後は、皆に将来必ず訪れる死についても、自然に受け入れられる気がしている。

術後ひと月くらい、今はもうほとんど傷跡は見えない。

胸骨にワイヤーが5本、旅のスーベニア。
絵画を主に扱うのがほとんどだった僕の時間が、このあたりからまた変化し始める。伊勢に関わるEMELONのササササササササササ中、ボロ家 NEO UMEDAリノベーションなどで、少し芸術やアートから距離を置き客観視するようになった。しかし、そんないろんな時間も僕のアートに直結してると思う。NEO UMEDA このプロジェクトには実質2年を費やした、この間はアタマが絵の方に向かなかったが、しかし家というでかく手強い代物と向き合うことで、何かスッキリした。ボロ家は、自分に課したでかい教材だった。大きかろうが、何だろうが、取り組めば、なるようにはなるじゃないか。事実でかい油彩を描くことを厭わなくなった、軽い気分で取り組めるようになったということだ。以前は、描く前から構えてしまっていた。そうなんだ NEO UMEDA ってでかい作品に取り組んでカタチにしたんだ、現代美術かなんだろうが、どうにかしてやるさと思えるようになったのだ。
http://www.youtube.com/watch?v=2J3p_D22yk4
http://takeshinakatani.jp/umeda/index.html
昨年から水墨画も描いている。日本的な森羅万象を表現するとき、西洋の油彩というメディアでは表現しきれない部分を水墨というメディアではやってのけることが出来るからだ。水墨は不思議だ、構築によって完成させる西洋の表現と違い、出来る限り余計なことをしないことでモノや自然の本質に迫ってくる。まさに神道や禅のような世界だ。

曾我蕭白 写し 2010年作 水墨
年齢もあると思う。若いうちは、自分が何でもやれて必ずどうにかなるなんて奢りがあるものだ。しかし、出来ることと出来ないことの繰り返しで、実際の自分が出来上がる。ここからが勝負だと今は思っている。
さて4回連ねて、僕のこれまでを記しました。人生も仕事も、そこそこ長く続けて来ると、途中行方不明になることがあるものです。同じ稼業を変わらずコツコツと続けるのが日本のスタンダードで、僕などは古くさい画家というレッテルが嫌いな分、自分で行方不明になってしまうのです。とは言え、ここまで書いたからには、僕はココにこうしてやってるぞという声明文でもあるのです。
ここまでを第一部として、以後第二部では、少し具体的に今までの僕の話しをベースに、現代美術について、そして僕自身の今後の仕事について記していきたいと思います。内容を整理し構成を整えるのにしばらく中休みを頂きますが、もう数回お付き合いを願えると嬉しいです。
では皆様、いい週末をお過ごしあれ。

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