
自宅から100メートル、数ヶ月前まで古い古い本当に昔の木造家屋が建っていた。これまた相当なお年の老人が住んでらした。彼の姿を見かけなくなったと同時に家屋が取り壊さる作業が始まった。ご近所によく起こることだけれど、あーまたかと進行を見守った。そして最近そこを通りかかって、驚いた「ついに登場したか、究極のリノベーション」これをリノベーションと言っていいのかは解らないが、拍手喝采で気持ちも晴れた。
新しい家が建つ訳でなく、駐車場になるわけでなく、そこには畑が出来たのである。ばあさんが、ネギを植え小さな苗木を植えたのである。
画像でご覧のように、この道はかつて環濠(小さな川)だったから地面が低い、木造家屋は階段を上がって建っていたから駐車場にするには金がかかったのか?そんなに駐車場ばかり必要じゃ無いし。それにコンクリの基礎など無い時代の木造建築だから、壊せばすぐに畑にコンバージョン(用途転換)だ。凄いぞ、ばあさん。ただの空き地にして放置しておいたら、雑草だらけで景観も悪いが、このように畑にして食物を栽培すれば美しき日々じゃないか。そうだ、この手があったんだ、このようにして沢山の朽ちゆく家屋が畑になっていったら、美しき日本が甦るかもしれない。よし僕もウメダが朽ちたら、ばあさんを見習って畑を作ることにしようかしら、アートでデザインな活かした畑があってもいいじゃないか?確かに小動物などが敵に回わるから、骨が折れそうではあるが。
神宮の式年遷宮は20年に一度、横の古殿地という土地にシフトして新たな殿を建てるのはご存知の通り。新たな殿ばかりがもてはやされるけれど、僕の視点は違う。この20年間、何も無い状態で放置されるこの古殿地に、式年遷宮を強く感じたりする。それは、以前の建物を壊し、更地にして自然に任せること。お天道さんが当り、雨風に晒されることで、その土地の気・エネルギーが20年かけて浄化される、そのための移設で建替えでもあるとも考えるのである。そしてそれを20年ごとに繰り返す、これが僕の解釈の遷宮。
このばあさんの行いが、そんな神宮や日本人の自然に対する畏怖に通じるように思うのである。新たに建てることは同じく消費すること、逆に物事から降りてみたり元に戻してみたりすることでのチカラや真実もあると思う。うまく言えないけれど、またゆっくりと考えてみようと思う。
じゃ今週もがんばって行きましょう、3週目ね52週分の。

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