☆2010 アジア大会
アジア選手権から2ヶ月弱でのアジア大会。
私はトレーニングも順調に進み、大会に向けて調子を上げていけた。
アジア選で好調だったリエはその後の1ヶ月位はすこぶる好調だった。
ところが、大会1ヶ月前位に大きな風邪をひき体調を崩してしまった。
11月初めに、アジア大会の為の合宿を組んで貰ったが、リエは随分小さくなってしまった感じだった。
アジア選の時の強さは随分失われてしまっていた。
あー、どうしてこの時に・・・
と思ったけれど、それでも大会まで1日1日コンディションを上げていけるように真剣に1日1日を過ごしていた。
試練はまだ続き、大会前日の試走でリエは転倒して少し怪我まで負ってしまった。
それでも最後まで全力を尽くした。
結果はリエが銅メダル、私は5位だった。
私は今シーズンBestな走りが出来たと思っている。
リエに関しては、本当に良い体調でBestな状態で闘わせてあげたかった。
終わってから、この大会に向けてのトレーニングを一緒に見返してみたりして、ここでこうしておけば良かったかも、というような反省点はあったけれども、その時点ではそれがBestと思える事に取り組んできたので、悔いが残るという感じではなかった。
私自身はやり切った感があった。
レースのけじめをつけるにはこのタイミングが一番良いようにも感じた。
しかし、来シーズンはロンドンオリンピックの国別枠を取る為の大切な年であった。
私がその為に出来る事といえば、たかがしれているけれども、アジア選手権ではかなり高いポイントをプラス出来るし、ポイントのつく国内の2レースをきちんと走る事で少ないながらもポイントをプラス出来る。
自分が走る事で少しでも貢献出来るならば、それはやるべき事だと思ったし、最後の使命かなと思った。
私はレース活動を続行する事にした。
☆2011
この年に頑張るのは4月の八幡浜、6月の中国でのアジア選権、7月全日本。
それだけだ。
そこでUCIポイントを1点でも多く取る事。
自分自身に使命を課し、取り組む事はきつい事ではあるが、それに向かっていける緊張感と心地良さがある。
そして、この3つの大会に関しては、今、自分自身の出来る最高の結果を得られたと思っている。
今の現状ではもう1ポイントも加算出来ないと思える結果を残せた。
自分の出来る事はやり遂げたという満足感があった。
☆アジア選手権
振り返ってアジア選手権。
ここで日本が優勝すれば、UCIポイントに関係なく、オリンピックの枠を獲得出来る。
昨年の結果を見ても、中国のエースは頭一つ抜きん出ている感じで優勝はかなり厳しいものと思っていた。
ところが中国のエースは怪我で欠場。
中国の二番手はリエと勝ったり負けたりしている選手。
リエにも充分にチャンスがある。
ここで決めてしまえば、ポイント獲得の為に過酷なスケジュールで無理をしてリエはワールドカップを回らなくて済む。
この時、エリート女子は3人体制。田近いくちゃんと3人でレースに臨んだ。
3人とも一つの同じ物を目指して、心を一つにして闘いに臨んだ。
出来る所は一緒に試走をしたりしながら、それぞれのペースでコンディションを整えていった。
そしてレース前日、「まじですか?」
同室だった私にリエは鼻水をかみながら「風邪ひいてしまったみたいです・・・」
その夜は結構辛そうだった。
それでも、レース当日はあまり多くは語らず、お互いにたんたんと準備を進めていった。
どんな状況でもリエはBestを尽くす。
私も余計な事は考えずに自分のBestを尽くすのみだった。
結果、リエは2位。
私は5位。
いくちゃんは、パンクのトラブルで走りに走り、脚をつりながらも懸命にゴールした。
ここで枠を摂る事は叶わなかったが皆がその時点でのBestを尽くした結果だった。
☆全日本選手権
振り返って全日本選手権。
リエは、ポイント獲得の為にワールドカップを回っていたが、カナダのレースを走った後、アメリカのレースをキャンセルして帰国していた。
オーバーワークで走れなくなっていた。
そんな状況で帰国して間もなくの全日本だった。
こんな状態で全日本を走るのは勇気がいる。
勝って当然の選手だから。
でも、リエはいつも恐れずにどんな状態でもBestを尽くして挑んでいく。
それまでの7連覇だって、決して良い状態で全日本を闘ってきたわけではない。
こちらが「大丈夫?」と心配になるような時でも、その心配をよそに勝たせてもらえる時は無かった。
勿論、私はそんなリエを見て、自分自身の勝機を見い出し全力で倒そうと挑んだ結果だ。
そして、この時もしっかりと勝てるレースを組み立て8連覇を達成した。
私は破れたけれど、しっかりと2位を獲得して出来るポイントは稼いだ。
☆全日本選手権を終えて
3つのレースを終えて、私は自分自身に課した使命を全うしたように思っていた。
ここで今シーズンのレースを終える事も考えたが、調子も良かったし何となく成り行きでレースに出続けた。
肋骨骨折、ペンションが最も忙しい8月に、こんな所でやってはいけない怪我だった。
リエは全日本後、SY-Nak cabinで休養、リフレッシュしながら9月の世界選手権で復活する事を目標にトレーニングも少しづつ進めていった。
私は怪我で仕事がまともに出来なかったけれど、リエがいてくれたおかげでなんとか夏を乗り切れた。
せっかくリエが来ているのに一緒に走る事は出来なかったけれど・・・
☆9月〜
リエの調子も上がってきて、世界選手権出場にこぎつけた。
どれ位走れるのか不安もあったけど、良い成績を求めるのではなく、今回は出る事に価値があると思っていた。
リエの世界選のレースはスタートは良くなかったし、順位を上げてきた所で大きな転倒もあり、復帰戦は上手くいかないかに見えた。
ところが、その後順位をドンドン上げて行き、終わってみれば好調の頃に近い順位でゴールする事が出来ていた。
やっぱりリエの居場所はここだ。
決して満足してはいないけど、テレビで見たその表情は晴れ晴れとしていた。
それでも、またここで調子に乗って同じ事を繰り返さないように、レーススケジュールなどは組み直していた。
一方私は、肋骨は完治したけれど、身体のバランスが崩れたようで今度はひどい腰痛に襲われていた。
シーズン後半は思い切り走れなかったけれど、そうした中で何とかしていく事も学んでいった。
最終戦の瀬女では、悪いなりに良いコンディショニングが出来て、まずまずの走りが出来たので、これまでとはまた別の喜びを感じる事も出来た。
こうして2011年シーズンを終えた。
つづく・・・

2011 Sena

8