どのくらいの時間こうしているだろう。
確実に迫り来る恐怖に
後ずさりするようにベッドを這い出た頃は、
うっすらと窓枠の存在を感じることが出来る程度の
彩度の無い世界が広がる時間だった。
白じんできた壁の色と遠くで人々が動き出すわずかなざわめきが
今はもう、はっきりと一日の始まりを感じさせる時間になっている。
もう何千回と過ごしているはずの一日の始まり。
この明けてゆく空を感じるたびに自然の偉大さを思い知らされる。
当たり前のように何十億年と
同じ作業を黙々と繰り返す、自然。
それに比べ人間の、いかにちっぽけなことか。
こわばった肢体を床に這わせ、
鉄のように重い身体を支えようとベッドに寄りかかる。
首筋でじんわりとにじみ出た汗が
耳の下、顎をなぞって落ちようとしているのを拭う事すら敵わない。
こういうときだけ人間は、
自然の偉大な力に気付き、畏れ、
そして絶望のなか四つん這いで神に祈るのだ。
「・・・神様・・・どうか、腰を治してください。」
いやー。やってしまいました、腰。
「お先〜」と寝室に入る奥さんを見送ったあと、
夜中、今夜中に送っておかないといけないメールを打っている最中、
「・・・はぉあぁ!!」という掛け声と共に
ビクンッとのけぞった背筋。
まるで腰に太い針が刺さったような激痛。
「・・・????」
訳がわからず、しかし嫌な痛みが残る腰をかばおうと
ゆっくりと平行移動を繰り返し、その場の床に横になる。
「経験上(以前に同じようなシチュエーションを肩で味わった)、
今すぐ横になる場所へ移動しないと十数分後には痛みで身動きできなくなる!
・・・ベッドだ!ベッドに向かえ!」
自分でも驚くほど冷静に状況を判断し、
寄せては返す痛みの周期を2分ほど観察した後、
波の合間を見計らい、見事な手際でメールを保存・パソコンをシャットダウンし
ほふく前進と壁を利用した伝い歩きでリビングを消灯、
寝室へ音も無く転がり込むようにして
ベッドに横になる。
「あー。これはヤバイな・・・」
と不安になるも、どうやらベッドで横になると負荷は少ないらしく、
ちょっと「腰痛いかな」ぐらいの痛みに治まる。
大げさに騒いで、奥さんに心配させるのも良くない。
「うーん、大した事無いかも。寝たら治るかな・・・?」と
とりあえず寝る事に。(なんとノンキな。)
しかし数時間後、朝の4時ごろ。
ふと目が覚めて、腰のことを思い出し、
もぞもぞと動いてみると、
「・・・はぉあぁ!!」
やはり激痛が。
「これはイカン。あと2・3時間で治る痛みではないぞ。」
いよいよギックリ腰の様相が色濃くなる。
「わー。仕事行けるかなぁ・・・。これじゃあベッドから降りるのも・・・」
・・・え?・・・ベッドから降りられない?
どうするのさ。
毎朝さ、・・・ホラ・・・目が覚めて。
起きたらさ、
・・・トイレ行くじゃん。
いや、今はね。そんなに差し迫っちゃしないけどさ。
ハハハ。そうさ、まだいつもの起きる時間じゃないからね。
・・・けど。
・・・ヤツは居るよ。
確かに。わかるんだ。
すぐそこに。
「・・・こぉぉれはぁぁああ!イカン!イカンぞぉ!」
無いッ!断じてッッ!
齢・三十を超えて、も・ら・し・て・る・場合では!!
今すぐ行動を起こすんだ!
今ならまだ幾分かの猶予がある!
意を決した僕は、ひとまずこの安定したベッド上の姿勢を保ちつつ、
少しずつ足元へズリ降りていく方法をとる。
本来なら横で休んでいる奥さんを越えて、その向こうのドアへ進むのが一番の近道だが、
それでは彼女を起こしてしまうし、
何より、普段なら小柄な奥さんも
腰に爆弾を抱えた今の僕にはローッキー山脈よりも大きく見える。
仮に山脈を越えることが出来ても、そのすぐあとの谷、ベッドと床の落差はおよそ40cm。
万が一山脈の頂上から谷底へ滑落すれば
今の僕は・・・いや今の僕の腰は、このコンクリートジャンゴーで終わりを迎える。確実に。
自分のペースで、ゆっくりと足元の谷を下りていくのが得策との判断。
冴えている。今なら行けそうな気がする。
極度の緊張とひたひたと近づく尿意の恐怖、
そして時折思い出したかのように舞い降りる痛みの鬼に
全身から汗が吹き出る。
毎分3cmほどのスピードでにじり寄ってていく様にして進んでいき、
ようやく足が床に着き、腰がベッドの縁に到着。
さあ、いよいよここからが戦いだ。
・・・いや、男なら!これは祭り!
そおれ、まぁ〜つりだ・まぁつりだ・まぁつりだ、ギックリまつぅりぃ〜
『(ぎゃー)』
声にならない悲鳴をあげながらベッドからずれ落ちていく体。
涙が出てきた。
じゅうたんの床にひざまづき四つん這いになり、体重をベッドに預け、
額を床に押し付ける姿勢で痛みの大波が去るのを待つ。
さっきの衝撃の痛みが、僕の心をへし折っていた。
怖くて動けない。
ほんの少しでも腰に力が入ると、激痛が走る。
前にも後ろにも、身じろぎひとつできない時間がドンドンと過ぎていく。
…神様。これはあまりにもひどい。
いったい僕が何をしたというのです?
(このあたりが冒頭のトコです)
あーあ。自然に動けてた時って、本当に幸せやったんやなー。
なんでも当たり前やと思ったらあかんなー。
もし運良くまたもとの腰の状態に戻ったら、
そのときは腰孝行しよう。温泉にでも連れてってあげようかな。
〜しばし激痛〜
あー…ツライ…
…ツライときこそ笑えっていうけど、
今笑ったら腰に響くなー。
笑うと苦しいって地獄やなー
ゴリラは大きくなると笑えなくなるって
上野樹里がいってたしなー
あー上野樹里カワイイなー
〜帰ってきた激痛〜
…アカン…この姿勢もだいぶ疲れてきた…
わー。こんなに近くでカーペットって見たこと無かったけど
カーペットの毛って輪っかになってるんやなー
こりゃあ、オレの髪の毛は絡まるわなー。
掃除いつもご苦労様です…
〜激痛・THE MOVIE〜
そしてしばらく繰り返し。
色々と物思いに耽るあいだも周期的にやってくる激痛。
もうTシャツは重くなるぐらいグッショリと汗を吸っている。
どのくらい時間がたっただろう、気がつくとすっかり明るくなっている。
こうしている間も、ひたひたとヤツが近づいてくる。
さっきより確実に尿意が増している!
イカン。まだ1mも進んでいない。
トイレまであと9mといったところか。
思い切って立とう。立ち上がって進む方がきっと早い。
「うおぉぉー!
…あかーん」
そんな無理をしちゃいけないヨ。と腰は笑う。
激痛に耐えれなくなり、
ベッドにバイーンと体当たりし、床に転がった。
もう痛みなんてどうでもいい…
…情けない…
床に額を擦り付け苦痛にもだえていると
ベッドの上でドアの方向いて寝ていた奥さんと目が合った。
「…!!」
爽やかな初夏の早朝。
床に転がる汗まみれの夫。
うめき声、苦痛に歪む顔。
誰が見ても事件だと思うでしょう。
案の定、奥さんは驚きすぎて声も出ず、
『何があった!?』と目で訴える状態。
僕は出来るだけ不安を与えないように
生まれたての子鹿のような体勢のまま
ひきつった汗まみれの笑顔で
「えへへ・・・腰やっちゃった…」
と力なく笑う。
「…えー?もうー」
飛び起きる奥さん。
「起こしてあげようか?」
いや、違うんです、今他人に触られると多分失神すると思います…
「いや…いい…それより、近くの病院とか…調べといてもらえると…助かる…」
結局そのあと、奥さんはインターネットを駆使し、
ギックリ腰のときの身体の起こし方をプリントアウトして見せてくれてたり
炎症を鎮めるために冷やした方がいいとか
やっぱり私が引っ張って行ってあげようかとか
えーいもう思い切って立っちゃえ!とか
あれやこれやと言ってくれるのだが
当の本人は
寄せては返す激痛の波状攻撃と
心をだんだんと焦りの色に変える尿意とで
全くの上の空。
時間にしておよそ1時間をかけ、
奥さんのエールを一身に受けながら
瀕死の芋虫のように床を這ってトイレにたどり着き、
トイレの棚をひっくり返したりしながら
奥さんを台にしてようやく便座に鎮座、
何とか1つの恐怖を乗り越えたことに安堵するのも束の間、
また1時間かけて来た道を戻るのかと思うと気が遠くなり、
もういい、俺はここに住む、と半ベソでドアの向こうの奥さんに訴える。
ひととおり用を足すと、やはりここにずっといるわけにもいくまいと
便座の高さを利用して立ち上がることを決意、
激痛に声を上げながら立ち上がり、
少し腰を落としたASIMOくんのような動きで寝室に戻る。
結局その朝はそのままベッドから動けず、
無論仕事も休む事に。
お昼前になり、出勤の準備をする奥さんを尻目に
またびっくりするぐらい時間をかけてリビングのソファに移動、
おそらく今日一日ここにいる事になるであろうという予想のもと、
おにぎり、お茶、携帯にテレビのリモコン、
腰を冷やす保冷材、汗をかいたとき用にタオルとTシャツを
テーブルの上に並べてもらう。
出勤する奥さんを
「お昼に食べてね」と言われたおにぎりを早くもムシャムシャ食べながら
ソファの上で偉そうに見送り、
全く動かずに
いいとも→ごきげんよう のスペシャルコンボを堪能。
…退屈だ…
だいぶ前に録画したものの、長すぎて見る機会を失っていた
「ラストサムライ」
があることを思い出し、こういう時の為にとって置いたのだ!と鑑賞を決意、
「どおりゃー!!」という怒号をあげながら
テーブルの上のリモコンを取る。
…2時間半後、渡辺謙に号泣。
そして思う。
…俺は仕事を休んでいったい何をしているんだ…
もはや映画に感動して泣いているのか、
自分の不甲斐なさに泣いているのか…
それは誰にもわからない。
もうね、あんまりダラダラ書いてもホラ、仕方ないし、
(もうすでにだいぶ長いけど)
ココからはNHK教育とかでよく見る、朝顔が咲く時みたいな早回しで
ソファの上の僕の動画をアップしたいぐらい変わりばえが無いので
すっ飛ばすと
前回肩をやった時に
病院でもらった痛み止めその他の薬があることを
仕事場の奥さんからの電話で思い出し、
「ぎゃー」とか「ぐおー」とか言いながら薬の棚まで行って服用。
諦めてそのまま安静にしていると
その日の晩には
「いよォ〜。…ポンッ

」
という合いの手と鼓の音が聞こえてきそうな歩き方なら動けるまでに回復。
帰宅した奥さんに
「なんや、なんかあっけないな」
と言わしめる。
でも今回、本当に自分は色んな人に助けられて生きているなと痛感。
当日の朝になって電話一本で「そりゃあ大変だ」と
休みを取らせてもらえる職場の皆さんや
※朝礼と社内メールで「○○さんは今日はぎっくり腰でお休みです」と
大々的に告知していただいた
→おかげで2〜3回しか会ったことない事務の方にまでガラスの腰を心配していただいた・恐縮です。
ちょっと含み笑いながら(なんで笑われてるのだろう)
文句もいわず手を貸してくれる奥さんはモチロン、
自分から連絡とかできる状態じゃなかったけど
奥さんのブログとかの情報から
ある人は自分は仕事で動けないけどと
わざわざ職場の部下にコルセットを買いに走らせて
お店に立っているウチの奥さんのところまで届けてくださったり、
また遠方に住むある友人はちょっと前に自分もやったトコだと言い
自分が先日処方してもらった薬が良く効いたからと
「『尿が臭くなる薬を下さい』と医者に言え、言えば分かる」と(?)
わけのわからんアドバイスを電話してきてくれたり、
「笑うと響いて痛いから、そのての話やめてね」と言ってるにもかかわらず
電話口でひつこく笑いを誘おうとする友人もいたり…
(あ、これは面白がられてるだけか)
とにかくもう、恥ずかしながら
ありえない状態になって改めて感じた周りの人の優しさ。
きっと、こういう人の優しさとか不自由なく生活できることのありがたさを忘れないように
ある程度の時期に神様が与える試練なのでしょう。
そしてその「ある程度の時期」の事を人はこう呼ぶのでしょう。
そう、きっとそう。
だって沢山の人にそう言われたもん。
「…もう歳だね(ぷぷぷッ

)」と。
※腰はもうすっかり良くなりました。
今は痛みより、恐怖心を取り除く作業に入っています。

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