2009/3/12

銃乱射事件に対する反応  分類なし

日本でもたぶん報道されて知られていると思いますが、昨日ドイツのStuttgart近郊のRealschuleで生徒、先生その他15人が銃乱射によって犠牲となり、犯行に及んだ卒業生である17歳の少年自身も自殺を図るという大変ショッキングな事件がありました。2002年にエアフルトの学校で起きた銃乱射事件を機に銃規制や学校での非常事態処置が検討されたあと再び起こったこの事件に、ドイツ国内のショックは当然大きく、頻繁に報道され、インターネット上でも大きな議論が起こっています。


今日学校では全ての学科の各クラスで、工房作業中だったところは各工房で、5・6時間目を使ってこの銃乱射の事件について話し合う機会がもたらされました。
私たちのクラスはちょうど宗教学の授業。Abschiedraum作りの作業を中断して、なぜこのようなことが起こるのか、ということを議論した。

その中で
『人が人を変える(救う)ことはできる』という意見と
『他人の根本を変えることはできない』という意見が衝突。
かなり激しいディスカッションとなった。

一方で、クラスの3分の1近くから
『このような話し合いをしても無意味だ』
『話し合いをしたところで何も変わらない 戦争や殺人がなくならないように、銃が手に入る環境にある中銃乱射はなくならない』
『自分たちの話し合いで何か解決できる問題じゃない』
という意見も聞かれ、興味がないという素振りの生徒もいた。
議論を始めて約30分後、一部の生徒たちは次々に教室を退出。理想論だと反撃を受けて悲しみにくれたから。あるいは議論自体に意義を見出せず気分を害したから。

『話し合いを設けること自体が無意味』という意見に私は断固として反論。本当に体がかっと熱くなる瞬間が多々あった。議論をボイコットすることも理解できない。 日本だったら内心そうは思っていても、なかなかそんなことを発言したり、ボイコットするなんてそうないだろうなぁと思う。ドイツ人は自分が思っていることを直球で発言し、それに基づいて行動する。黙っていて何考えているかわからないよりも、ずっといいと私は思う。だけど、他の考えを受け付けず主張だけしてシャッターを下ろしてしまうような言動を時々目の当たりにすると、なんて勝手なんだと、怒りに近い苛立ちを覚えたり、同時に悲しい複雑な気持ちにもなる。 


犯行に及んだ本人が、その親が、周りの人間が、学校が、殺人ゲームが、銃(武器)が、政治が、社会が、・・・事件の背景には色々なファクターがあるから、このような事件を一発で完璧に解決できる方法なんて恐らくない。

そして、人間である限り殺人はなくならない・・・そうかもしれない。
私自身もそれについて否定し難い 残念ながら。
だから政治が変わっても、どんな規制ができても、学校で話し合っても、『何しても変わらない』のかもしれない。

でも、『何しても変わらない』って信じ込んでいることほど、やり切れない思いにさせてくれるものはない。そう考えている人の根本を変えることはやっぱり無理なんかな?悲惨な行為はなくならないかもしれないけど、それを意識して少しでも考えるだけで何か『変わる』と思うんだけど・・・ これも理想論? 


【追記 3/14】
この事件に関するドイツ人の様々なコメントがドイツYAHOOの関連記事こちらで現在700件以上寄せられています。 ドイツ語の分かる方、一度読んでみてください。
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