何のために生きているんだろう?そう思うことは時々あります。若い時も時々そんなことを思ったことがありました。それはちょっと生きることに疲れた時だったのかもしれません。
そんな時にテレビを見ていてハッとさせられたことがありました。ハワイの警察官にインタビュアーが「貴方は何のために生きているのですか?」と尋ねたのです。その頑強な肉体をした男性は「家族の為」一言そう答えました。
そんな簡単な、単純な目的。俺は家族のために生きている。昔見た「誰が為に鐘は鳴る」という映画の中で主人公が戦場へ命を懸けて走り出すときに愛する女性に「何故戦いに行くの?」と聞かれたときに「愛するもののために」と答えて去って行ったシーンを思い出しました。
そうか人は愛するもののために生きていいんだと思いました。家族のために。そういう簡単なところに答えはあったんだと思ったものです。
いや本当は人というのは愛する者たちの存在がある故に、生かされている存在なのかもしれません。生きているのは自分の意思だけれど、その意思を支えているのは愛する者たちの存在なんだなぁと思います。
御仏の教えに「生かされていることに気づきなさい」というものがあります。だからこそ全ての存在の中に御仏はおわしますという教えが続きます。きっと人はそんな単純な愛のシステムの中で生きているものなのだろうと思います。

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