経絡を視る修行を続けています。経絡の陰に視えてきたのはその方の深層心理のようです。それは様々なヴィジョンで視えてくるのですが、判断や分析が容易なものはほとんどありません。
人は自分の真実の姿というものをそんなに簡単に見せてくれるものでは無く、またご本人でさえ分からずにいる場合も多いようです。
しかし心の深層に歪みが生じていれば、それは身体の歪みとなり症状として出てくる場合もあります。経絡というものはそういう歪みに寄り添って、かばい、養い、許してあげようとする心の中のお医者さんのような役目も果たしているような気がします。
患者さんの経絡を視るのは私自身の心の中です。自分自身の心の中に映った患者さんの経絡の姿を確認するように視ることになります。そのためには自分自身が「我」というものを捨て、共感する力を最大限に上げつつ冷静な客観性も保っていなければならないためにとてもとても難しい心の状態を維持していかなければなりません。
まだそのような心の状態を維持できる時間はわずかしかなく、気まぐれな状態が続いています。しかし経絡の陰に視える心の様子を見て行くと私が施療して行かなければならない「道」がかすかではありますが、見えてきたような気もしています。

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