スピリチュアル・シンボルとしての「剣」は破邪と守りが主となります。人を傷つけるためだったり、ましてや命を奪うためのものではありません。ちょっと訳が分からないことを言いますが、心に剣を持つ場合もその主たる目的は「守り」になります。自分自身の心や命を守る、大切な存在である周りの人たちや命を守る、そのためにこそ心の中の剣は使われる者だろうと私は思っています。
ネット社会や学校などでその心の中の剣が他者を傷つけるために使われ続けているのはとても悲しいことです。本来はそういうために持たされるものではないからです。
昔の武士はとても厳しい修行を自分に課して心と体を十分に鍛えなければ刀を持つことが許されませんでした。未熟な者が剣を持てば自らや他者を傷つけることになることをよくわかっていたからです。今の社会では「言葉」や「情報」が剣になります。きちんと修行をして心を鍛えていないものがこれらの形のない剣を持つと凶器になります。それをみんなが良くわかっていってくれると嬉しいのですが、なかなか難しいようです。

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