比叡山延暦寺へ行ってきました。どうしても高野山と比較してしまいますが、あちらとは対極にあるスポットだと感じました。
高野山が「清浄の地」というものなら比叡山は「混沌の地」という感じでしょうか。何よりも京都の地と琵琶湖というものの存在が大きくかかわっているように思います。
宿泊地は近江八幡の休暇村だったのですが、この旅館の客室には大きな窓が設置されていて前面レイクビューで琵琶湖と沖島という比較的大きな島が前面に見えていました。
比叡山にあったのは人の我欲の図書館のような感覚を与えるものでした。それは琵琶湖=淡海の湖(おうみのうみ)が人のあらゆるものを飲み込んで存在する大きな存在だったことに原因があるのかもしれません。
最澄大師、法然上人、道元禅師、日蓮上人等々日本のあらゆる宗教の祖が比叡山から生まれました。しかし、その宗教は「財」や「政」と纏わっていきます。それの因を私は大きな湖に視ました。あれは豊かではあるけれど、決して清浄なだけのものではないようです。
あらゆるものを生み出す力もありますが、あらゆるものを飲み込む力も持っているものなのだろうと思います。だからこそ比叡山延暦寺はあのような「混沌の地」となったのではないかと感じました。
私だけの思いですが、高野山は何度でも訪れたいと感じますが、延暦寺は一度で十分だと思いました。



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