NHKのスペシャル番組で司馬遼太郎さんの思索についての特集を放映していたのを見ました。
日本人とは・・というテーマでした。日本人の本質というのは「武士」だということでした。
「名こそ惜しけれ」そして「公意識」というものが日本人の行動や思想の原意識になっているという司馬さんの思いに強く共鳴しました。日本人の「恥」というものに対する繊細な感性と、常に社会に対して責任を感じているというまじめさというのは民族の特性として秀でたものだろうと思います。
東日本大震災のときの整然とした人々の避難風景、そしてサッカーワールドカップにおけるサポーターの方達の後片付けの風景、日本人としてなら当たり前かもしれないその美しい姿の中に日本人の静かな安逸ともいえる民族特質を感じます。
司馬さんは二度の大戦について軍部が持った「統帥権」というものが悲劇に結びついていったと非難していました。しかし、司馬さんの本当に言いたかったことは日本人の持つある落とし穴的な性質を非難したかったのではないかと私は思いました。
司馬さんは生涯にわたって「熱中・熱狂」ということをひどく嫌ったと言います。これを聞いたときに私は強く共鳴する部分を感じました。私が以前から「祭り」というものが大嫌いだったのは、そう人々の「熱中・熱狂」が大嫌いだったからです。日本人にとって熱中・熱狂というのは「個」というものを壊してしまう作用があります。「個」人というものが破壊され「群集」の中に飲み込まれたときに愚かな行為が始まるのだと思います。それが日本人の弱さ、完成されていない民族としての弱点なのだと思います。
個としての強さというか心の完成度を高めていくことをしないと日本民族は本当の成熟というものを得られないと司馬さんは語っておられましたが、私も同感です。
冷静に常に客観的に自らを見つめる視点をしっかりと持つこと、そこに「名こそ惜しけれ」の意識と「公」というものに対する責任感を伴った安定した認識が加われば強い民族というものが生まれるように思います。

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