人は他人(ひと)の努力は半分に見ます。そして自分の苦労は倍に見せたがるし言いたがります。
だから人は一生懸命に頑張っていても認められることが少ないようです。必死に、それこそ命懸けで頑張って、やっと一生懸命にやっているなぁとみられるくらいの様です。
人に認められるということは本当に人の自分自身に対するアイデンテティに関わる重要な要素です。そのために人は生きている場合すらあるようにも思います。頑張っているように見える方を見かけたら「ご苦労様です。本当に頑張っていらっしゃいますね。」そう声をかけてあげたいものです。
だからなのか人は自分がどんなに苦労しているか、苦労してきたかを人に語りたがります。それが自己存在の肯定という大事な要素だからです。自分が生きてきた証しはそこにあると信じているのだと思います。苦労無しで生きてきた人などはわずかしかおられませんし、それでも苦労を楽しみに変えて生きてきた方もおられるとは思いますが、それは少数の方だと思います。
人には他人には言われぬ苦労をしている方が多いものです。そういう方は人に自分の苦労をあまり話したがらない方もおられます。それは本当に我慢強い方です。こういう方は見つけ出してその苦労話を聞き出して差し上げたいと思うばかりです。
逆に政治家なんていう方達の中には自分の苦労を話したくて言いたくてうずうずしまくっている方達なんかもおられるようです。「地の塩」となっておられる方達を見習ってほしいようにも思います。
結論も何もないお話のようですが

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