雑霊が周りにうごめいておられるお客様などと接する場合(とは言ってもこれを読んでおられる方がそういう方だなどとは考えないでほしいです。そういう方はこういう記事を読むこともなかなかできないような因縁に絡まれていることが多いものです。)、どうしても心を空にしないと自分自身の中にそういうものが流れ込んできてしまうので、そういう努力をするのですが、そうすること自体が心に滞りを招くことになるので、ただただ風が心の中を吹き過ぎる心象風景を念頭に置くようにしています。
執着を捨てよ、とはよく言われることですが、なかなかそう簡単にできることではありません。向上心さえも執着だ、我にすぎないと言われるとどうすればいいんだという気持ちになってしまいます。
例えば「風」。「風」には実体はありません。一つの自然現象にすぎない。海の波もそう。木々の芽吹きもそう。自然の中の「動」はゆったりであれ素早くであれ「はたらき」にすぎなくて実体はありません。
心の「空」もそういうことなのかなと思います。実体のない単なる心のはたらきを風のように過ぎ去っていくばかりのモノにしていくことが「空」ということなのかもしれないとこころの片端で思うようにしております。

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