私が勝手に先生と思っている遠藤先生は唯一「経絡を視る」ことができる方なのですが、私の究極の目標も経絡を視ることです。
今までは経絡を視る前に氣の流れを視ることから始まり、その氣の解析を主にやってきていましたが、少しずつ経絡本体を視る段階へ移行する時期に入ってきているように最近感じ始めております。
経絡を視るということはその対象者の相当深い部分と一体化するような形になります。それは自分というものが無くなるということにつながり、相当な精神修養を積まなければ出来るものではありません。
遠藤先生のワークショップでの経絡へのアプローチは武道的な部分も含んでいて独特のものがあります。ただ先生ご自身が書いておられることでもあるのですが、この「氣」に関わる世界では決まり事というものは無いように思います。これが経絡にアプローチする唯一の道と今のところ遠藤先生はおっしゃっていますが、それは便宜上そういう仮定をしているだけなのだろうと私は思っています。
私のアプローチの方法が間違ってはいないというまだ確信までは得ていないのですが、ここから経絡をとらえる道が伸びていることはぼんやりと視えつつあります。
真の癒しを得るには経絡を確実にとらえることが出来るようにならないと難しいと思われます。まだ道は遠いですが、少しずつ迫っていきたいと思っています。

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