タオ指圧の遠藤先生は「経絡」というものをとことん追求していって、その真実の姿を突き止めていかれました。
それは人の本来の身体からニメートルほど離れた空間にある「氣の身体」という球体上のものの表面に「真の経絡」というものはあって、その影が身体の中や表面に現れているという事実でした。
私のような半端なものにも何となくそういう姿は感じられるようになりつつあります。
それと同時に神霊界においてもそういう構造が視えてきたような気がしています。「真の神仏」というのは決して人の近くやそばにおられるものではなくて、ましてメッセージを伝えてくるということは中々無いことで、その「影」のような存在が代わりに伝達者となっているということです。
だからと言ってその代弁者が邪霊とか雑霊であるということではありません。そういう存在は人を恐怖や混迷の中に誘い込むような内容のメッセージしか伝えてきませんから区別ができると感じています。
なぜ「影」のような代弁者的な存在が間に立つのか?人と神仏とは何か絶対的な「壁」のようなもので遮られているのでしょうか。
「犯すべからざるもの」として神仏はあるのでしょうか?この疑問はまだまだ先に持ち越されていくのだろうと思います。

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