塚原卜伝のテレビ番組が先日終了しました。描かれていた卜伝が神に授かったという剣の神髄「一つの太刀」。
骨子は相手と一つになるということ。闘うべき相手と心も体も一つになるという心境に達することが必勝の剣の極意だというわけです。
合し打ちという剣の手法があり、「後の先」という極意があるのですが、要するに相手の剣が動き始めて変化が出来なくなった直後にこちらが機先を制して打ち出して勝つという剣の手法です。
これを極めれば決して負けることのない剣を揮えるのですが、その前に相手と心を一つにするというところが今、学ぼうとしているタオ指圧の証診断と全く同じで見ていて驚いてしまいました。
一つは人を切り殺す手段、もう一つは人の心も体も癒し治そうとする手法。いや、卜伝は単純にこの「一つの太刀」というものを人殺しの手段としてのみ考えていたのだろうかと思います。
卜伝はこの極意を一国一人と言って滅多な人には授けなかったそうです。心の下作りがきちんとできている人にのみ伝えていたのでしょう。どんな素晴らしい技術も使う人の心が腐っていては恐ろしい不幸を生み出すものになると考えていたのかもしれません。
タオ指圧の要諦は患者さんとの生命共感と無我の境地。それは「一つの太刀」と同じように人が人と完全に近いくらいに分かり合えるための一つの道程なのかもしれません。

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