いっさいしゅじょう と読みます。今、読んでいる本の中に出てきた言葉です。
自分のためでもなく、他のためでもなく、それでも懸命に一つのことに打ち込んで修行を積んでいくと、一切全ての生きとし生けるもののためになることになるというような意味だと思います。
宗教で言えば、仏教者が仏の道を懸命に学んでいっていつか全ての人を救えるかもしれない「悟り」を得られるかもしれないということ。
武道においても、修行を続けていくと自分でもない他人でもない全ての人の為になる境地に達するかもしれないという事。
今、迷いの多い世の中です。そんな中だからこそ、「一切衆生」という気持ちが必要なのかもしれません。

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