これはある方からのある質問に対しての答えとして私の考えを述べたものです。間違っているのかもしれませんが、私の正直な気持ちでもあります。
人も自然の一部なのだと私は思うのですよ。極論なのかもしれませんが、人の為す事が自然と対立しているとは思わないのです。それも自然の一部として自然に属していることなのではないかと・・・・。
だから「人の願い」というエネルギーも自然の理の一つなのかもしれないと考えています。人の寿命というものが人によってどう自由にもできないのが何よりも人も自然の一部なのだという真理の証拠のような気がします。
地球上で為されることの全てが自然の摂理に従っていると私は思います。だから、人の願いが強く集まって自然災害の一部が回避されたとしてもそれはそれで自然の成り立ちから矛盾はしないと思うのです。
ただ、声高に「皆さん、願いましょう!幸せの波動を送って自然災害を鎮めましょう!」などとやるのはおかしいと思います。作為的に行う「願い」というのは人の「わがまま」に過ぎないと感じるからです。
でもそれなら人の行いの大部分は「わがまま」ではないのか?と言われるかもしれませんが、確かに人の「驕り」「昂ぶり」によって為される行為は「わがまま」として非難されるものなのかもしれません。
ただ、人がこれは「善」だと信じて行うのか、これはきっと「悪」なのだと思って行うのか、それはとても大切なことなのだろうと思っています。そして、「善」だと信じて行うことでもそこに「驕り」や「昂ぶり」があればそれは為してはならないことだと信じています。逆に「悪」だと思っていてもそこに深い「思慮」や「後悔」があって為されることなら為されるべきことなのかもしれないとも思います。
人は元々矛盾を含んだ存在だと言います。しかし自然の為すことも慈愛の満ちたものに感じることも、悪逆非道に感じることもあります。
私は人が地球上で行うことには「慎み深さ」が必要だと思っています。周りを慮って地味にコツコツとし続けることが大切なのだと思っています。花は決して咲き誇っているわけではなくて、ただ単に「そこで生きている」にすぎないのです。生きているに過ぎない存在に私はなりたいと思います。

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